3、原佳大ピアノ・レクチャーコンサート

原先生

 今回は、恒例の原佳大先生のピアノ・レクチャーコンサート。母とともにパリで“就活“中のモーツァルトが、母の死や交響曲パリの成功など、動乱に満ちた人生の曲がり角のなかで作曲されたピアノソナタイ短調k.310(1778年)をメイン・テーマに、「パリソナタとアイスクリーム」のタイトルで、ときに演奏を交えながらの素敵な時間をもらいました。(写真 聖徳大学10号館14階ホールにて)

 パリに向かう途中にマンハイムに4か月半もの長逗留をして父レオポルトを苛立たせたモーツァルトですが、充実したマンハイムの宮廷楽団との交流を通じて、ポリフォニーの音楽に目覚めていったこと。一方で、父の故郷アウグスブルクにおいて、フォルテピアノに出会ったことで強弱のメリハリの着いた作曲手法も身につけることになったこと。フォルテッシモからピアニッシモまでを含む、情感の驚くほど深いこのイ短調ピアノソナタについて、原先生は曲の構造からモーツァルトの技法的進化までを含めて、演奏と解説にと、私たちをモーツァルトの懐へと導いてくれました。

 母マリーア・アンナは、1778年7月3日夜10時21分にこの世を去りました。同日付父レオポルト宛の手紙で「お母さんが重態です」と書いたモーツァルトは、翌午前2時にザルツブルクの友人宛に母の死を書くことになります。父への手紙では、母の死に向き合う自分の気持ちを無理に持ちあげるように、コンセール・スピリチュエル幕開けのために書き上げた交響曲31番ニ長調パリ(k.297)への大喝采成功(6月18日)のことが綴られています。アイスクリームはそのくだりで出てくるものです。「ぼくはもううれしくって、シンフォニーが終わるとすぐにパレ・ロワイヤルに行ってーおいしいアイスクリームを食べー願をかけていたロザリオの祈りを唱えて―家に帰りました」(父宛1778年7月3日)。

 モーツァルト母子のパリ住いは、あまり居心地のよい環境ではなく、母の健康に悪影響を及ぼした可能性があります。母マリーア・アンナは、ザルツブルクに残った夫レオポルトに、次のように書いています。「私の暮らしぶりについて申し上げれば、それは決して気持ちのよいものではありません。一日じゅう、ひとりっきりで部屋のなかに座っていますが、まるで牢屋にでも入れられているみたいです。おまけにとっても暗くて、小さな中庭に面しているだけなので、一日じゅうお日さまが見られませんし、お天気がどうなのかも分かりません。わずかに差し込んでくる光で、やっとの思いでなにかちょっとしたものを編むことができるのです」(1778年4月5日付手紙)。クロワッサン通りの次の住居も、そこを訪れたことのある原先生によると、やはりあまり日のあたらない一角だった印象が強かったそうです。

 アインシュタインが「劇的で仮借ない暗黒に満ちている」「悲劇的なソナタ」と評した(アインシュタイン『モーツァルトーその人間と作品―』浅井真男訳、白水社、p.336)イ短調k.310が、母の死後のいつごろ書かれたのか、はっきりはわかりません。ただ、この曲に母への強烈な恋慕が込められていることは間違いない気がします。

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