3、宇宙と「無限」、人間と「無限」

 アリストテレスは、有限の時間で回転する天が無限ではありえない、と、宇宙の有限性を”証明“し、すべからく無限の存在を否定しました(アリストテレス『天体論』村治能就訳、岩波書店、pp.12-29)。無限の非存在は、時の始まりを認め、神による始まりを主張するキリスト教を支える理論となっていました。

 ダ・ヴィンチとほぼ同時代に生きたジョルダノ・ブルーノ(1548-1600)は、宇宙が時間的にも空間的にも無限であるとの考えを表明し、神による始まりを否定するが故に異端審問にかけられて火あぶりの刑に殉じました。プラトン哲学も、私たちの存在はイデアの内という限界を持っています。

 「経験の徒」を自認するダ・ヴィンチは、アリストテレスやプラトン、キリスト教に縛られることなく、「無限」を神的な「一者」の手から人間の手へと奪い取るような次のような考えを表明しています。

「自然はもっぱら単純物を生産し、人間はその単純物から無限の複合物を生み出す」(『手記(下)』p.17)「力は無限である。もしこの力を生み出しうる機械が製作できるとしたら、無限の諸世界といえども動かされるうるにちがいない」(同p.29)

 現代の宇宙論の知見によれば、この宇宙は閉じた有限な存在であり、そこに含まれる物質の総量(ダークマターやダークエネルギーを含めて)は太陽質量(2×10の三十乗kg)に換算した星の総数(10の二十乗個)から3×10の五十乗kgと計算されています。エネルギーや存在の形式が変わるだけで、この総量は不変、つまりどんなに大きな値でも、有限です。

 人間の凄まじい「創生力」を見抜いているダ・ヴィンチの表明は、人類が「無限」に向けて進んでいることを想像させます。もろもろの発明から哲学・文学・芸術、農作業などの日々の工夫に到るまで、人間は実にさまざまなものを生み出してきました。なかでも、自己増殖する自己の存在が、まずは最大の創作物ではないでしょうか。

 人類の累積人口がどのくらいになるか、時代ごとに推計している人(研究機関?)の結果では、現代までに1,080億人にのぼる、そうです。紀元前8,000年ごろに500万だったと推定される地球上の人口は1920年代から急速に増え始め、2011年に70億人に到達し、さらに加速して2100年には109億人を越えると推計されています。これ以上の人口増加は、もはや地球が維持できる限界を超えますから、人類は確実に地球外へと移住を始めるでしょう。まずは太陽系の惑星へ、次は銀河系内の適地へ、そしてさらにアンドロメダ星雲などの近隣の星雲へ、と、このように人類は宇宙空間の隅々へと進出することになるでしょう。これは限りのない「無限創生」の歩みです。

 「始まり」の存在と「有限界」を主張する現代のビッグバン理論に対し、フレッド・ホイルらが唱えた考えに宇宙の無限性を主張する「定常宇宙論」があります。宇宙は一年間で一立方キロ・メートルあたり水素原子一個という物質創生によって膨張による希薄化を補い、いつでも、どこでも同じ姿を留めているというのです。定常宇宙論は、「始まり」と「宇宙の外」という難問を回避させる点で、ブルーノと同じ哲学的魅力を持っています。

 さて、皆さんの無限観を聞かせていただきましょう。