3、市場が道徳を解放する?

 ディヴィッド・ゴティエは、彼の有名な「合意による道徳」の探究において、様々な集団間での制度的取り決めについての合意に依存し、それは、社会正義に我々を導くと想定されている。制度は圧倒的な優先権を与えられ、それは、合意された制度がもたらす実際の帰結の性質から影響を受けないとみなされる。…ゴティエは、正しい制度を作ることによって様々な集団は道徳から常に制約を受けることから解放されると明快に論じている。ゴティエの本で、これらのことを説明している章は「市場:道徳からの自由」と名付けられている。
              (アマルティア・セン『正義のアイデア』p.140-141)

 ディヴィッド・ゴティエ(1932-) 他者の権利を侵害しない限り、各人は自由である、とするリバタリアン経済学者の一人。道徳は絶対的な基準ではなく、あくまで合意された縛りに過ぎない、とする視点から正義論を組み立てた。

 前回の講座では、現代の日本社会では、安いものを求める、という私たち消費者の心理が、拮抗力となって企業に値下げ競争を促し、その結果デフレが恒常化するというジレンマを生み出したのではないか、との指摘が受講生からありました。この指摘は、私たち一人一人が取るべき消費行動に、何か新しい「道徳の傘」(消費道徳の規準)が求められるのではないか、ということを示しています。消費社会においては、私たち大衆消費者が、同じような行動に走ることからする、巨大な矛盾がいくつもあることに気づかされます。「賞味期限」という衛生上の基準は、私たちにほとんど機械的に少しでも古い生産物を敬遠するという消費行動をうながし、大量の生産物が「期限切れ」の理由で捨てられる運命を作っています。
 「安いものを買う」ことは、「善」なのでしょうか、それとも「悪」なのでしょうか。「賞味期限」を意識して少しでも新しいものを買おうとする行動は、「善」なのでしょうか、「悪」なのでしょうか。もちろんその行動は、だれもが「善い」と思ってやっているのです。「悪には対抗できるが、善には対抗できない」という格言があります。私たちの日常に於いて、「善い」と信じて行っていることが、実は、世界のどこかに対して、あるいは私たち自身、ひょっとしたら世界そのものに対して、大きな災いをもたらしていることが、あるのではないでしょうか。
 いま問題になっている中国の大気汚染も、電気や自動車という便利な生活を人々が欠かせなくなり、それを求めるということから来ています。便利さを求めることは悪いことなのでしょうか。公害防止装置に多額のお金をつぎ込めば電気代も車もその値段があがります。「電気代があがるのは困る」と考えるのは、悪いことなのでしょうか。
 このグローバル化時代に、「正しい行動とは何か」を考えてみたいと思います。