4、まるでシンフォニーを絵にしたような…

               (『旅の日のモーツァルト』pp.47-pp.62)

 「1770年の春、当時13歳の少年だった私は、父親といっしょにイタリアへ旅行しました」と、モーツァルトが回想的に語るナポリの風景で、ヴェスヴィアス火山を真正面に抱いた洋上で、二隻の船に分かれて乗っている少年・少女がオレンジを投げ合うシーンが美しく描かれている。青い海と山と町、そして交換されるオレンジの球、こうした風景からモーツァルトの心の中に『ドン・ジョヴァンニ』のマゼットとチェルリーナのダンス曲が浮かんで来た、とメーリケは『旅の日のモーツァルト』で語らせている。このオレンジの風景はもちろんメーリケの創作だが、ナポリでの滞在はモーツァルトにどのような印象を残していったのだろうか。
 「宮廷礼拝堂で、ミサの間に、ぼくらは王妃と国王を見ました。ヴェスヴィアス山も見ました。ナポリは美しいところですが、ウイーンやパリと同じように人でいっぱいです。それから、ロンドンとナポリとを比べると、群衆の厚かましさでは、ナポリのほうがロンドンよりも上かもしれません。…」(1770年5月19日。ザルツブルクの姉ナンネルへ)
「今日はヴェスヴィアス山が猛烈に煙を噴いています。やあ、すごい閃光、いつまでもきりがありません。…劇場は立派です。国王は無作法なナポリ風に教育されているので、」オペラの間ずっと、腰掛の上に立ち上がっていて、それで王妃よりも少し背が高く見えました。王妃は美しく、親切な方で、(馬車の遠乗りをした)モーロ(防波堤)では、たしか六回も僕に、この上ない親しさで会釈をされました」(1770年6月5日。ザルツブルクの母宛父レオポルトの手紙の姉への付信)
 国王はスペイン王カルロス3世の息子フェルディナント4世(1751-1825)で、王妃はマリア・テレジアの皇女マリア・カロリーナ(1752-1814)。レオポルトの手紙によると、2~300を数える貴族たちが毎日、馬車を連ねてモーロ(防波堤)を散策するのが習わしで、王妃もしょっちゅう同乗する、とある(1770年6月5日。ザルツブルクの妻への手紙)。
 父・レオポルトとモーツァルトのナポリ滞在は、1770年5月14日から6月25日の6週間、一か月と十日に及んでいる。レオポルトが「私たちはなんでも見てやろうと一生懸命です」と言うように、6月13日には朝5時に起きてナポリ西方14キロのボッツオーリまで馬車で2時間かけて行き、そこで船に乗ってヴェスヴィアス火山の地熱を利用したネロ帝の浴場から、ネロ帝の母の墓所、さらにはさまざまな洞窟など実に二十か所以上を見物している。翌日以降も、ポンペイの遺跡を含め「珍奇な物や宝物」を見て回っている。
「こうした珍奇なものをすべて見物するのには、いつでも松明を持っていなければなりません。多くが地下にあるからです。私とヴォルフガング、召使いと、たった三人だけでした。船乗りが六人にガイドがひとりいましたが、ヴォルフガングを見てみんな驚きを隠せませんでした。つまり二人の白いひげをはやした船乗りたちが言うには、こうした古代の遺跡を見物にこの場所までやってくるこんな若い子供は、ここではいちども見たことがないそうです」(レオポルトから妻マリア・アンナへ。1770年6月16日)