4、アリストパネスの「雲」からイデア論へ

 前回は、「無知の知」を巡って、プロ野球の引退した山本昌投手の次の言葉がそれにあたるのではないか、とお一人から極めて有意義な示唆が出されました。
「私もまだまだだったことが今となってわかってきている。知っているようで、知らなかったことがたくさんある」

 この話を聞いて思い出すのが、69連勝を続けていた双葉山が、安芸ノ海によって連勝を断たれた日に、残した名言です。

「われいまだ木鶏たりえず」

 これは『荘子』に由来する言葉で、動じることのない木彫りの闘鶏の域にはなれていない、の意味です。単純に言えば「私もまだまだ未熟者だな」ということになるでしょう。これをソクラテスの心境に当てはめれば、「私も知恵においてまだまだ未熟者だな」と気づいたことが、すなわち「無知の知」への覚醒だったのではないでしょうか。
 
 カイレポンがデルポイへ出かけて「ソクラテスが第一の知恵者」との神託を受けたころ、喜劇作者アリストパネス(~BC445~BC385年)が、ソクラテスを題材とした喜劇『雲』を発表しています(BC423年)。この時、ソクラテスは推定47歳(~BC470~BC399)。プラトンの『ソクラテスの弁明』に描かれたソクラテス裁判の23年前になります。告発者が主張するソクラテスの罪状

1,神を信じない
2, 若者を悪しく導いている
 
 の二つを象徴する言動が、この『雲』にそのまま登場しています。

 主人公は、アテナイの商売人ストレプシアデス。借金取りに追われ、思索学校なる私塾に息子を入校させて、借金取りをうまくまるめこむ「詭弁術」を身に着けさせようとします。この学校の校長がソクラテスで、ゼウスの雷は雲から生まれる自然現象だと主張し、息子に「黒を白」と言いくるめる詭弁を教え込みます。息子は、その詭弁によって借金を巧みにかわすことに成功しますが、親の生き方を批判するようになり、ストレプシアデスは「息子がこのようになったのはソクラテスのせいだ」として、思索学校に火をつけてもやしてしまう、とまあ、こんな筋書きです。

 プラトンは40歳の時、アテナイ北西郊外にアカデメイアを開き、60歳ごろまでここで精力的に著作活動をしています。アリストパネスも登場する『饗宴』は、『パイドン』や『国家』などとともに、プラトンの代表的な中期の作品ですが、『雲』の公開後7年、ソクラテス54歳の年(BC416年)を舞台として展開します。プラトンはここで、ディオティマなる架空の女性を登場させ、彼女が語った形でイデア論をソクラテスに語らせています。

 かつて人間は男と女が合体した手が4本、足も4本の球体だったが、神に反抗したために切り離され、男と女になった、との話で登場するアリストパネスの登場には、何か意味があるのか、イデア論と関係があるのか、皆さんの想像の翼を広げてください。
 
 次回は、イデアと神との関係をめぐって、お一人の炯眼を聞かせていただきます。