4、アンタ、あの娘(哲学)の、何なのさ

 もうずいぶん昔のことになりますが、ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドなるグループが歌ってヒットした歌謡曲に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(1975年、阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲)がありました。一年前に横須賀の港で知り合った娘を探して、勤め先のバーを訪ね歩いた男に対して、女たちが答えていくリズミカルな音楽の各小節ごとに、繰り返される決め台詞が「アンタあの娘のなんなのさ」です。

 「初めてこれを聴いたとき、この詩を作った人、この曲を作った人、天才だと思った。今でもそう思っている」「当時この決め台詞『アンタあの娘のなんなのさ』は 物凄い流行りましたね~!保育園児から大人までこのセリフを口にしたものでした」「奥さんの阿木燿子の作詞のすごさ」「お嬢様育ちでしかもきれいな女!! 男でも書けない世界」。
 
 ほめちぎりの言葉、満載ですね。この歌を聞くたびに、思い出すのが、プラトン対話編の一つ『ゴルギアス』(プラトン全集5、角川書店)なのです。ゴルギアスは、ソクラテスと同時代に活躍した名高いソフィストで、どんな相手でも弁論で打ち負かすことができると豪語していました。あるとき、高名なゴルギアスがアテナイの街に滞在していることを知ったソクラテスが、彼のもとを訪れて、議論を仕掛けます。

ソクラテス「あなたは誰でも話術で打ち負かすと聞きましたがほんとうですか」
ゴルギアス「そのとおり。私に議論で勝てるものはないよ」

 と、対話が始まります。ソクラテスは「あなたの話術の正体は何か」とそのコツを教えて欲しいと迫り、ゴルギアスの説明に対して、ソクラテスは「その術は何の役に立つのですか」と畳みかけます。

 ゴルギアス「人々を善い生活に導くためさ」ソクラテス「善い生活とは何でしょうか」こうしてソクラテスは、お得意の「善とは何か」を問いかける場へと誘導し、ゴルギアスは「考えたことのない問い」に立ち往生してしまいます。

 「そのような術をお持ちだというあなたを、何者だと言えばいいのでしょう」とのソクラテスの問いに、ゴルギアスは「弁論家」と答えます。弁論は「レトリック」、言葉をうまく操る手法です。
 
 以後、善とはなにか、を常に煩悶しながら生きるのが「哲学者(愛知者)」、その問題がすっぽり抜けて相手を言い負かすことだけに専念する人を「ソフィスト」(知者)と呼ぶようになるのです。ソフィストは、いまでは「詭弁家」(話術でうまく人をごまかす偽の知恵者)と訳されています。

 つまり、ソフィスト的存在は「哲学」にとって何なのか、の意味で「アンタ、あの娘(哲学)の、何なのさ」ともじったわけなのです。
 
 さて、本日のテキスト「わかってないねえ、柄谷くん」では、池田ソクラテスの分類「頭だけで哲学している柄谷行人」と「人生そのもので哲学している」小林秀雄」をテーマにご議論をお願いする予定ですが、「頭でっかちの小心者」(テキスト『ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け』(池田晶子著、新潮文庫、p.48)などと実名で柄谷の人格を否定する池田ソクラテスに「SNSの誹謗中傷と同じで家族はどう思うか、こんなのをテキストとして使うこの講座から退室する」とお一人の受講生が大変なお冠です。まずは、この主張について皆さんどう考えるか、お話してもらうことから始めることに致しましょう。

 最後に、小林、柄谷、池田三人が「愛知者」か「ソフィスト」(詭弁家)かどうか議論することにいたします。