4、丸山真男 ステレオタイプ思考から脱出せよ

 前回は、メルロー=ポンティを題材に、発表者の受講生が、「無限の精神を有限の身体が表現する」図式を、古武道や禅の世界にまで広げて見事な考察をしてくれました。今回は、日本の戦後民主主義をめぐって、辛口の論評だけでなく行動においても展開した三人の知識人、共同幻想論の吉本隆明と「決まりって何」の問いを展開した鶴見俊介、と並ぶ丸山真男(1914-1996)の登場です。

 丸山真男の代表的な著作『現代政治の思想と行動』(未来社、1964.5)は、本人が「増補版への後記」で述べているように「戦後日本の政治学史の、ひろくは戦後思想史の一資料としてあらためて提供したい」(p.584)との意図のもとに書かれたものです。自身を「学問の世界の坊主にたとえ」た(p.583)本書は、坊主が俗人に説法するように、学問坊主が社会に向けて説法をたれた、ある種の「啓蒙的学術論文」の類といってよいでしょう。

 「それらの論文のスタイルが学界的常識からはあまりにジャーナリスティックに見え、ジャーナリズムの世界からはあまりに『専門的』もしくは『難解』だという非難を浴びるのは覚悟のうえだったのである」(p.583)とありますが、チャップリンの映画『独裁者』『モダン・タイムス』やナチ時代の精神の変遷を吐露した一言語学者の告白(pp.462-470)に典型的に見られるように、随所の引用はむしろジャーナリスティックで、本書が「大衆受け」してきた理由がよくわかります。
本書が現代においても通用する重要なメッセージは、W.リップマンの『世論』から引用した次のくだりでしょう。

★「いかなる国民共同体でも、外界の事象にたいする世論を形成するものは主として、少数のステレオタイプ化したイメージである」「ステレオタイプの体系が確固としている場合、われわれの注意はステレオタイプを支持するような事実の方に向き、それに矛盾するような事実からは離れる」傾向があるからして、ステレオタイプは事実によって証拠立てるというまさにその行動を通じてすでに「事実」に自分の刻印を押すものである。(p.483)

 簡単にいえば私たちは物事を自分の都合の良いステレオタイプにあてはめて判断する傾向があり、自分の都合の良い事実を選んでその判断を正当化する、ということです。毎日新聞の座談会で経済同友会の小林喜光代表幹事の発言「基礎研究にこだわっている日本はビジネスで敗者」(2019.1.31)について、分子生物学者の大澤省三さんが「経済に結びつかない研究は切ってすてよ、ととれます。彼の考えは、私からみると極めて危険だとおもいます」と書いてきました。

 ビジネスで世界に負けている、という事実を「経済的に豊かなことが一番」のステレオタイプに当てはめ、基礎研究を切り捨てる判断を世間にアピールしているわけです。大沢さんは、理化学研究所主任研究員の平野達也さんの次の言葉に同意するといいます。「科学の有用性のみが強調されているが、科学は社会的な利益を生むための手段ではありません。科学は文化なのです」(朝日新聞2019.1.31)。

 さて皆さんは、世間に流布している意見や世評、とくに政治家や経済人、文化人の発言にいかなるステレオタイプを見るでしょうか。