4、姉・ナンネルが愛した桜桃入りのタルト

 モーツァルトの4歳半年上の姉・ナンネルは、弟・ヴォルフガングの音楽活動の始まりについて、次のような文章を書いています。

「彼[レオポルト]の七人の子供のうち、ひとりの娘マリーア・アンナと、この息子ヴォルフガング・ゴットリープだけが生き残ったので、彼は、ヴァイオリンの教授も、また作曲も、まったく放棄してしまい、宮廷に仕える以外の残された時間を、二人の子供の教育に向けました。

 父親が七歳の娘にクラヴィーアを教えはじめたとき息子は三歳でした。

 幼児は、ただちに神から与えられた異常な才能を示しました。彼はしばしば長い間、クラヴィーアを前にして、三度をさがし求めて楽しんでいましたが、それをいつまでも鳴らし、その階音に満足している様子でした。

 4歳の折、父親はいわば遊びがてら、クラヴィーアでいくつかのメヌエットや小曲を教えはじめました。これは父親にとっても、また子供にとっても、ほとんどなんの苦にもならなかったので、ある小曲などは一時間で、また、あるメヌエットは半時間で、容易に学び取り、こうしたものを誤ることなく、このうえなく綺麗に、拍子もきわめて正確に弾いたものでした。このような進歩をとげたので、5歳のときにはすでに小曲を作曲し、それを父親の前で弾きましたが、父親はそれを五線紙に書きとどめたのです」(『モーツァルト書簡全集Ⅰ』白水社、海老沢敏、高橋英郎訳、pp.19-20)

 通称『ナンネルの楽譜帳』として知られる父・レオポルトの五線紙集は、もともとはクラヴィーアを始めたナンネルのために与えたものです。全40曲のうち、ドイツやオーストリアの作曲家の作品にまじって、幼いモーツァルトの作品がすでに見られます。「これら八曲のメヌエットを、ヴォルフガング、4歳のときに学ぶ」などとともに「5歳の最初の三か月のうちに書かれたヴォルフガングの作品」「ヴォルフガンゴ・モーツァルト氏作曲、1762年3月4日」(アレグロ 変ロ長調)など、作曲年代まで明示された表現もありました(『モーツァルト書簡全集Ⅰ』、p.21)。

 さて、この幼いモーツァルトが作曲した5曲(K1~K5)を、ナンネルの楽譜帳から選んで聴いてもらいましょう。このK1のアレグロ ヘ長調の旋律を聴いて、みなさんは何かほかの曲を思い浮かべないでしょうか。あてて、ください。

 これから鑑賞していただくフランス映画『ナンネル・モーツァルトー哀しみの旅路』(ルネ・フェレ監督)は、ナンネルと、若くして世を去ったフランス王ルイ15世の長男ルイ・フェルディナン(王太子:1729.9.4-1765.12.20)との淡い恋心を描いたものです。
 
 西方への大旅行で知られるモーツァルト一家の旅は、1763年6月9日から1766年11月29日にいたる実に3年6か月にもわたる文字通りの大旅行でした。前の年のウイーン旅行(1762年秋~1763年1月5日)の際、シェーンブルン宮殿に伺候してマリア・テレジアと謁見し、夫のフランツ1世から下賜された450フローリンの資金を元手に購入した自家用馬車(100フローリン~)を駆っての旅でした。従僕のヴィンターをともなって欧州の30もの都市を巡り、各地の宮廷で音楽会を催したこの旅行は、2万フローリンもの費用がかかったといわれていますが、頂戴したたくさんの宝石・装身具類、あるいは各地で廉価で仕入れた種々の商品によって、一家に多大な収益をもたらしたと想像されます。

 さて、モーツァルト一家は1763年11月15日にベルギーを出発し、3日後の11月18日にパリに到着しました。12月24日にはヴェルサイユ宮殿で、国王と王族一家の拝謁を受けます。モーツァルト一家は翌1764年4月10日までパリに滞在するのですが、同年1月8日まではヴェルサイユに滞在し、王族の御前での演奏や、元旦には宮殿での夜食会で国王のテーブルで食事をする栄まで受けたのです。モーツァルトはドイツ語も堪能な王妃マリー・レクザンスカのそばで食べ物を頂戴し、しばしばその手に口づけしたといいます(1764.2.1レオポルトの家主夫人マリーア・ハーゲナウアー宛手紙)。

 映画に登場する4人の王姫アデライド、ヴィクトワール、ソフィ、ルイーズの4姉妹は、それぞれが音楽の素養があり、フィガロの結婚の原作者ボーマルシュがヴェルサイユ宮殿でハープを教えたという逸話があります。このパリ滞在中でのナンネルと王太子ルイとのはかない恋はもちろんフィクションですが、時間的・空間的にはそのような出来事があってもおかしくはない土壌はあったといってよいでしょう。アデライドとルイーズは修道女として人生を送り、ヴィクトワールとソフィは未婚のまま世を去りました。

 ちなみに王太子ルイは、ナンネルが14歳だった1765年12月に亡くなったのですが、その三男がマリー・アントワネットの嫁ぎ相手のルイ16世です。
ヴェルサイユ滞在中のナンネルの旅日記には次のような記載が見えます。
「女神ラトーナが農夫たちを蛙に変え、海神ネプチューンは馬を取りおさえ、女神ダイアーナは水浴びをし、女神プロセルピ-ナがさらわれている。白大理石と雪花石膏のとても美しい花壺」(『モーツァルト書簡全集Ⅰ』、p.112)
言うまでもなく、ヴェルサイユ宮殿の庭園にあるいくつかの大噴水はギリシア・ローマ神話を題材としています。さて、ナンネルが描写しているのはどの噴水なのでしょうか。

 モーツァルトはのちのイタリア旅行の際、留守番の姉・ナンネルあてに「いつかきっとあなたと桜桃入りのタルトを食べに行く」(1770年4月21日)と書いています。この桜桃入りのタルトを味わってもらいたかったのですが、あいにく、サクランボの季節には早く、代わりにすみれシロップ入りのゼリーを古和谷直美さんが用意してくれています。モーツァルトが好んだといわれるレモンの皮と干し葡萄のパウンドケーキともども、最終日(7月4日)に召し上がっていただきますので、お楽しみにお待ちください。