4、岡本太郎を織り込む

画像の説明

 さて、「芸術は爆発だ」の“名言“を残した岡本太郎もまた、どちらかといえば、奇人・変人の類に入るかも知れませんが、彼もまたガウディの作品に感銘を受けた芸術家の一人であることは間違いないでしょう。1978年にバルセロナを訪れた岡本が、最も感銘を受けたのがコロニア・グエル教会地下聖堂でした。「いろいろ見たけど、ここが一番いい。すべてが凝集されている。ここは、また是非訪れたい」と言って、食い入るように眺めてその場から離れようとしなかったそうです(「岡本太郎が語ったガウディ 岡本敏子インタビュー」」(『ふしぎの国のガウディ』エクスナレッジ、p.287)

 鎖を重力にまかせて吊るす「逆さ吊り模型」の実験を繰り返して生み出したアーチ型の天井で知られるこの建物のどこに岡本は惹かれたのでしょうか。「すべてが凝集されている」と語ったという「すべて」とは、いったい何を指してのことでしょうか。岡本太郎は実に含蓄のある数々の名言・迷言を残していますが、そのなかに「宇宙」を入れた次のような一文があります。
画像の説明
 「イマジネーションによって、宇宙と遊ぶのだ。…宇宙全体、永劫回帰だ。その息づまる輪廻は言いようのない遊びだ。…われわれのドラマには、失業があり、戦争があり、突然の大火、事故、飢え、そのディテールは無限だが、それ全体がぐるぐる廻っている壮大な遊びの場だ。…回されている連中の方は少しも遊んでいない…それら卑小な目的にちぢんでしまった有象無象をひっくるめて、世界が、宇宙が、雄大な遊びを遊んでいるというわけだ」(岡本太郎『歓喜』二玄社、p.114)。

コロニア・グエル教会地下聖堂

 岡本がコロニア・グエル教会地下聖堂で感じた「凝集するすべて」とは、おそらくわたしたちの卑小な有象無象を含んだ永劫回帰する宇宙全体のことなのではないでしょうか。岡本はあるとき上野の博物館で縄文時代の火焔土器に出会い「驚いた。こんな日本があったのか。…身体の血が熱くわきたち、燃えあがる。すると向こうも燃えあがっている。異様なぶつかりあい。これだ! まさに私にとって日本発見であると同時に、自己発見でもあったのだ」(同p.82)

 岡本は、狩猟採取民である縄文文化人こそが日本人の祖型であり、現代の私たちは彼らの「熱い生きざま」を忘れ去っている、と嘆いています(「縄文文化の謎を解く」『岡本太郎著作集9太郎対論』講談社、pp.125-134)。岡本の指摘はわからないでもありませんが、火焔土器が私たちに訴えかける本質は、もっと奥深い、生命の根源・生きる力なのではないでしょうか。

 石牟礼道子は、熊本で開かれたガウディ展に寄せた小文のなかで、ガウディに「いのちの初源」を感じたことを記しています(『〈石牟礼道子全集・不知火〉第14巻 短編小説・批評』、藤原書店、p.316)。

 ガウディと火焔土器をつなぐものは、生命そのものであり、それはすなわち宇宙そのもの、その波動や息吹を共有しているが故に、私たちをゾクゾクする歓喜で揺さぶるのだと思うのです。永劫回帰する宇宙の一員であることをコロニア・グエル教会地下聖堂が感じさせてくれるのだとしたら、是非ともその感覚をそこで味わってみたいものですね。