4、弦楽四重奏曲二短調k.421(アミエル)

  「ソクラテスの試みた会話のように、愛すべき…微妙な都雅」

 まずは、皆さんから寄せられた「想い入れ」のモーツァルトをご紹介しておきます。
「ディヴェルトメントニ長調k.136。players:井上道義、新日本フィル・フルメンバー。audience:私(一人のみ)(指揮者の足許の場所) 私のretire 記念演奏」

「2004年6月12日、次男留学先のワシントン大学卒業式に出席。Ph.D.取得者は一人一人が名を呼ばれ壇上で学長と握手する様が会場のハスキースタジアムの大スクリーンに映し出される。祝辞は2度のピュリッツァー賞のAugust Wilson. 前年に始まったイラク戦争に反対する熱弁にStanding Ovationの大拍手。学生達の入場行進曲はモーツァルトのピアノ協奏曲第22番k482第三楽章アンダンテ・カンタービレ。晴れやかな息子の姿と共に生涯の思い入れ深い一曲となった」

「年代によって出会ったモーツァルトは違います。小学生のころは、ピアノソナタ、何番かわかりませんが、有名な優美なメロディーに、心の渇きを癒していました。今でもくっきりと映像で思い浮かぶのが、20代で観た映画『悲しくも美しく燃え』のテーマ音楽になったピアノ協奏曲21番。現在はコーラス曲を多く歌っています。一番好きな曲はアヴェ・ヴェルム・コルプス、また、絶筆であるモツレクの第8番ラクリモザ。この二曲はとくに心を込めて歌っています」

「レクイエムニ短調k.626。モーツァルトの宗教的な考えの集大成を感じさせる曲。聴いていて安らぐことのできる曲(夕方)」

「トルコ行進曲」
 
 さて、本日の主人公アンリ-フレデリク・アミエル(1821-1881)は、『アミエルの日記』で知られるスイスの哲学者です。といって、哲学の世界で知られているわけはなく、詩集もだしていますが「二流の詩人として愛国的詩歌と文芸評論の作者」に過ぎず、生涯独身の孤独な世界に生きた「生存中は本当に知られない」人でありました。ところが、1847年に始めて死の直前まで続けた1万5,600頁に余る手記が死後の1883/4年に『日記』として刊行されてから、その評価は次第に世界へと広がり、「やがては世界文学全体に於いて最も独創的な思索家の一人と認められるに到った」のです(以上、アミエルの最後の弟子で『日記』を編纂したベルナール・ブゥヴィエによる「アミエル」より。『アミエルの日記(一)』河野与一訳、岩波文庫、pp.9-20)。

 アミエルは、しばしばベートーベンと比較しつつ、モーツァルトのことを表現しています。

モーツァルトは、優美、自由、安易、確かで細やかできっぱりした形式、精緻な貴族的な美しさ、心の朗らかさ、健康、天才の域に達している技両」「ベートーベンはもっと感動的、情熱的、分裂的、稠密、深刻、未完成、天才の奴隷、空想もそくは情熱の奴隷…」「モーツァルトは美なのだ。プラトンの対話のように、疲れを癒し、人を尊重し、人に自信を持たせ、自由と均衡を興える」「ベートーベンは人を捉える。もっと劇的、悲劇的、雄弁的、強烈だ」「モーツァルトの方はもっと淡白で詩的だ」「モーツァルトはギリシア的、ベートーベンはキリスト教的だ」(『アミエルの日記(一)』1853.5,14、p.134)

 冒頭の言葉は、1856年12月17日の日記で、モーツァルトの弦楽四重奏曲二短調k.421を音楽会で聴いた後の愛情のこもった詩的な賛辞の一部です。それは次のように綴られていきます。
 
 四部合奏は、エリシオンの落ち着きを予感させるアッチカの一つの魂の一日を物語っている。第一場は、イリソス河の縁でソクラテスの試みた会話のように、愛すべき会話で、その特徴は細緻な微笑と上機嫌な言葉を持つ微妙な都雅である。
 第二場は身慄いのする悲痛さを持っている。一片の雲があのギリシアの瑠璃色の空にかかった。互いに尊敬し互いに愛し合っている大きな心と心の間にさえ、人生には避けられない嵐が襲って来て、この調和を乱そうとする。その原因は何であろう。思い違いか、不注意か、怠慢か。それは分からない。とにかく嵐が突然襲って来る。アンダンテは非難と嘆きの場面である。…

 エリシオンとは、神と人間との合いの子「半身」が、死後に向かうある種の楽園である。イリソス河は、古代アテナイの城壁南側の流れで、ソクラテスはその河畔で知人のパイドロスと、愛と文芸についての対話を交わしていく。プラトンはその何とも都雅なその風情を次のように描写していきます(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳、プラトン全集5、岩波書店、p.139-140)。

 ソクラテス おおこれは、ヘラの女神の名にかけて、このいこいの場所のなんと美しいことよ!プラタナスはこんなにも鬱蒼と枝をひろげて亭々とそびえ、またこの丈たかいアグノスの木の、濃い蔭のすばらしさ。しかも今を盛りのその花が、なんとこよなく心地よい香りをこの土地にみたしていることだろう。こちらでは泉が、世にもやさしい様子でプラタナスの下を水となって流れ、身にしみ透るその冷たさが、ひたした足に感じられるではないか。…

 弦楽四重奏曲二短調k.421は、1782年から1785年にかけて作曲されたいわゆる「ハイドン・セット」の第二作目で、愛妻コンスタンツェが長男を分娩した最中(1783.6.17)に完成したと言われています。初版のハイドンへの献辞に「高名にして、わが最愛の友よ。…わが6人の息子をお預けします。―彼らは、まさに、長い辛苦の成果…」とモーツァルトは綴っています(1785年9月1日。ハイドンあての手紙)。

 ハイドン本人をウイーンの自宅に招いての演奏会で、同席した父・レオポルトは。ハイドン本人から「誠実な人間として神の御前に誓って申し上げますが、ご子息は、私が名実ともども知っているもっとも偉大な作曲家です」と言われたことをザルツブルクの姉・ナンネルあての手紙に書いています(1785.2.16)

 皆さんは、どう聴きますか。ザルツブルクのハーゲン弦楽四重奏団による演奏をどうぞ。

 https://www.youtube.com/watch?v=bk-SfRPsKFE