4、徘徊老人の独り言
前回は、『ハムレット』のどこが、太宰治や大岡修平ら日本の文学家を刺激して、『新ハムレット』とか『ハムレット日記』などの作品を書こうと思わせたのか、その魅力について皆さんの考えをお聞きしました。
「現代社会も、どろどろとした人間の生き様に満ちている。公務員的な企業でいた私にとって、ライバルを蹴落とすには相手の女関係をまず調べろ、などと大企業の部長クラスが話しているのを聞いて唖然とした覚えがある。ハムレットはそうした人間界の現実を思い起こさせる」
「太宰が『新ハムレット』を書いた昭和16年といえば真珠湾攻撃に始まる日本が大戦争に突入した年だ。太宰は、戦争で死んでいく若者とハムレットを重ねてあの作品を書いたのだと思う」
「太宰はあの年、愛人となる太田静子と出会い、三角関係の只中にいた。『新ハムレット』にはその心情が反映していたのではないか」
いろいろ、皆さんからご意見を頂戴しました。それぞれの立位置が投影されて、実に興味深いと思います。皆さんの立ち位置をちょっと、分類してみましょう。
生活感覚派:日常の生活の中で感じていることを中心に発想が出てくる方
社会派:社会の現状を常に意識して、そこから物を見る立場の方
職人派:ご自分のプロフェッショナルな仕事や趣味の世界(絵画、甲冑研究など)から、主として発想が出てくる方
哲学派:どんなテーマでも哲学の知見に乗せて、切り込む方。
文学派:豊富な文学上の知識を土台に、多彩な発言を組み立てる方。
組織人派:主として、組織人としての経験を元に、考察をくみ上げる方
無手勝流派:問われている内容とは一見無関係だが、底辺でつながっていることを、自由に発言する方
クイズ回答派:哲学的な問いを、一種のクイズのように感じて、答えを探す方。
知的徘徊派:好奇心の赴くままに、あっちへふらふら、こっちへふらふら、徘徊老人のようにさ迷う方。
私自身は、このタイプ。
この立位置の多種・多彩さが、この「哲学サロン」の会話を、豊かで活気のあるものにしてくれています。まだ、発言を控えている方々も、この立位置を参考にしながら、臆することなくご自由に発言をお願いします。
さて、皆さんは、どのような立ち位置から、物事を考え、行動していますか。