4,ペリクレス演説が示唆するもの

 前回は、「ソクラテスの陶酔」という新しい視点から、ペリクレスが確立した民主主義の繁栄が生み出した自由が、ソクラテスに一種の「陶酔感」をもたらし、善を人々に説く哲学的対話へと導いた、とする考えをお一人が提起してくれました。これは、ニーチェの言うディオニュソス的陶酔が生み出す高揚感の一例と言えるかも知れませんが、この時、ソクラテスの心の底で、ある種の恐怖感が潜在していたと考えるのは、なかなか興味深い話ですね。

 また、古代ギリシア人たちに伝わっている逸話「人間にとって最高の幸せは生まれないことだ。次善は、すぐ死ぬことだ」を、『悲劇の誕生』の「三 アポロ的文化の基底」(p.54)から、お一人が紹介してくれました。

 今回、ニーチェが提起しているのはギリシア人の「醜いものに対する渇望」はどこからきたのか(「自己批評の試み」三、P.17)、です。彼は、こう疑問を投げかけています。

「ペシミズムや悲劇的神話、生存の根底にあるすべての怖ろしいもの・邪悪なもの・謎めいたもの・破壊的なもの・不吉なもの、に対して、古代ギリシア人は激しい好意をよせているが、それはなぜかということーつまり悲劇はどこから発生せざるをえなかったのか?」(同)

 紀元前431年5月、デロス同盟の覇者としてエーゲ海に君臨していたアテナイとスパルタを中心としたペロポネス同盟の間で戦闘が開かれました。紀元前404年まで27年間にわたって続けられ、アテナイの敗北で終わったペロポネス戦争の始まりです。ペリクレス指揮下で当初優勢に戦いを進めたアテナイでは翌年の冬、戦没者のための国葬がなされ、ペリクレスがアテナイ市北西の市壁の外にある高台ケラメイコスの国立墓地で追悼演説を行いました。

 この時の演説を、ツキジデスが詳細に報告しており、ニーチェが“ペリクレスの大追悼演説”と「自己批評の試み」三(P.17)で紹介しているのはこのことです。

 ペリクレスは、アテナイの繁栄をもたらしたのが民主主義的な政体にあり、「恐怖も歓喜も知悉して、危険にたじろがない勇者」を生んだと力説しています(トウキュディデス『歴史』小西晴雄訳、ちくま学芸文庫、p.157)。

 そして「退いて生き永らえるより、守って砕けるを良しとし、戦列を五体をもって固守した彼らは、恐怖よりも光栄に極まって逝ったのである」(pp.158-159)と激賞するのです。

 この演説のどこにニーチェが惹かれたのか、皆さん、考えてもらえますか。ニーチェは「悲劇は快感から生まれた」(p.17)とし、ギリシア人は「その青春のゆたかさのなかに、悲劇的なものへの意志を持ち、ペシミストであったとすれば、どうであろうか」(p.18)と問いかけて行きます。

 こうした問いの意味も、今回はご一緒に考えて行きましょう。