5、 インスブルックからブレンナー峠を越えて

 モーツァルト一家は、なぜイタリアへと足を運んだのでしょうか。ゲーテもまた、詩作への行き詰まりを打破するためにイタリアに行きました。イタリアの魅力とはなんでしょうか。自由にお話を致しましょう。

★白十字館に残されているモーツァルトの記録。
白十字館の記録

 1769年12月14日、父・レオポルト連れられた13歳のモーツァルトは、インスブルックの「白十字館」に着きました。12月18日付の『インスブルック月曜一般新聞』は、二人のこの到着について触れ「この令息は、その非凡な音楽上の造詣によって、すでに、六歳からオーストリア皇室宮廷においても、また、英国、フランス、オランダにおいても、さらに神聖ローマ帝国全土を通じても名を挙げたのである。昨日、この人物は貴族の方がたが催された音楽界に招かれ、その場で、自らのまったく特別な技量をこの上なく見事なかたちでじっさいに示した。この若い音楽家は現在十三歳であるが…」と報じています。

白十字館

モーツァルトはこのイタリアへ向かっての旅がよほど気に入ったようで、「ぼくの心は、ほんとうにうれしくて、すっかりとろけそうです。なぜって、今度の旅はとても楽しいし、車の中はとても暖かいし、それにぼくらの御者は愛想のいい人で、道が少しでも許すかぎり猛烈なスピードで飛ばします」と書いています(1769年12月14日 途中のヴェルグルから母にあてた手紙)。
 ウイーンでの陰謀によって上演されず、ザルツブルグでようやく初演となった(1769年5月1日)モーツァルトのオペラ・ブッファ『見てくれの馬鹿娘(ラ・フィンタ・センプリチェ)』の総譜をレオポルトは携行しました。