5、「利口ぶりっこ」の壁

 前回は、柄谷行人を「小心もの」と揶揄した池田ソクラテスに対して、「個人攻撃を含む本をテキストにすることに抗議する!」と「退席」したお一人の行動で講座が大いに盛り上がりました。お一人は、柄谷行人の『哲学の起源』(岩波書店)にある「イソノミア」(支配者なき無格差社会)のあり方に共鳴して、「このような素晴らしい本を書いた人へのあなどりには、腹が立つ」とエールを送りました。外部との接触を避け岩波の『世界』を読み続ける主婦の話や、千日回峰行を繰り返し続ける人など、彼らの「心の内実」を知りたい、とのお一方の声も、興味深いものでした。
 
 今回は、「唯脳論」で一世を風靡し、著書『バカの壁』(新潮新書)で大当たりを取った解剖学者にして“虫博士“の養老孟司を「策士」とか「無能の脳」と池田ソクラテスが遣り込めるお話です。

 この本で珍しく正鵠を得ているのは、「唯脳論」は「唯心論」の焼き直しである、との指摘です(p.54)。私たちの見ている世界は心に映る像に過ぎず、「物」なる客観的な存在はない、とする唯心論の、心を脳に置き換えただけが「唯脳論」言うわけです。

 『バカの壁』は、自分の脳が見えている事しか見えないことに気づかないことを、巧みなネーミングで表現したことが、ヒットにつながったことは間違いないでしょう。このタイトルは、出版社の編集者が養老氏の考えから提案したものだそうです。前回の池田ソクラテスの柄谷批判は、「出版社が、それやれ」と囃し立てて生まれたものではないか」とのお一人の指摘は、多分あたっていますね。
 
 言葉の新奇な表現で、壁の向こうの世界を開示して見せる手法を駆使したのが、富裕な商人の家庭教師やときには都市国家の外交官の役割を持つこともあったソフィストです。ギリシア語の「ソフィア」(知、知恵)から来ている用語ソフィストは、もともとは「知者」の意味でしたが、やがて「詭弁家」の代名詞となりました。

 相手を説得することにたけた彼らの「弁論術」は、一般人の及ばない「情報知」「学識知」「体験知」「専門知」を駆使して、人々が気づかない「壁の向こうの世界」を見せるその術の本質は、言ってみれば「言葉による手品」でした。

 前回あげたゴルギアス、そしてプロタゴラス、さらにヒッピアスが、三大ソフィストとしてギリシア世界に名前をとどろかせていました。小林秀雄、柄谷行人、養老孟司、そして池田ソクラテスもまたソフィストなのか、あるいは、「利口ぶりっこの壁」に囲まれているのか、皆さんの吟味を聞くことにいたしましょう。

 そしてもうひとつ、プラトン対話編『国家』に登場する「洞窟の比喩」もあげておかねばなりませんね。洞窟の壁に映されていく動物や壺を世界だと思っていた囚人が、解放されて陽のもとに出されたとき、真なる世界を見て唖然とする話です。これは、唯脳論とどこかつながりますか。
 
 また、千日回峰行の目的は、「バカの壁」を壊すことにあるのか、それもなかなか興味深い「問い」ですね。