5、『ピエタ』ミケランジェロの愛 Recordare(思い出したまえ)

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 ミケランジェロの彫刻で、皆さんが最も票を入れたのが、『ピエタ』でした。お一人の方は、モーツァルトの『Ave Verum Corpus』を思い浮かべる、とまでおっしゃいました。「マリアにしては若すぎる」の声があると問いかけたコンディヴィに、ミケランジェロは「清浄な女がそうでない女に較べて、はるかに瑞々しさを湛えているのを知らないか? 心の中に体を衰えさせる一点の汚れた欲望も忍び入ったことのない処女であってみれば、なおさらだということを?」と答えています(アスカニオ・コンディヴィ『ミケランジェロ伝』(高田博厚訳、岩崎美術社、pp.43-44)。

 その素晴らしさに「作者は誰だ」という声があがり、別の彫刻家の名前があがるのを聞いてしまったミケランジェロが、マリアの襟のところに自分の名前を彫ったのも有名な話ですね(ジョルジョ・ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』平川祐弘ら訳、白水社、p.226)。ヴァザーリは、キリストの死に顔を「これほど死そのものといった死体が見られようとは思わない」と感嘆の声をあげています(同p.225)。
 
 誰がみても『ピエタ』のテーマが「愛」それも「慈愛」であることは、恐らく衆目の一致するところでしょう。今回は、ミケランジェロの「愛」について語るのがふさわしいのではないでしょうか。肉欲を伴った愛や男色のこともそれなりに伝えられていますが、なんといってもペスカラ侯爵夫人ヴィットリア・コロンナとの、おそらくはプラトニックな愛が、『ピエタ』にふさわしいものであり、ミケランジェロ自身の夫人にささげた数々のソネット(アスカニオ・コンディヴィ『ミケランジェロ伝』pp.225-231)に彼の「純粋な愛」の形を見て取ることが出来ると思うのです。
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 ミケランジェロが詩人としても知られるコロンナと出会ったのは、彼が57歳のとき、1532年のことだと言われています。夫を失っていたコロンナはローマの修道院に、ミケランジェロはフィレンツェから再びローマに戻っていました。日曜ごとに聖書の講義を聞く場があり、コロンナを中心とする小さなサロンができあがって、そこにミケランジェロはたびたび招かれたのでした。ポルトガル王から派遣されローマに来ていた画家フランツェスコ・ドランダが、その場での会話をまとめてポルトガル王に献呈した『絵画に関する四つの対話』が残っていて、二人の間柄を知る貴重な資料になっています(同pp.219-222)。
 
 初めてこの会合に招かれたミケランジェロが夫人ばかりを見ていた話、かつて皇帝ネロがローマの火事をそこで見たとのいわれがある場所にどのような尼僧院を建てたらいいかコロンナが相談した話。「ローマであなたを知っている人は、あなたの仕事よりももっとあなたを尊敬します」と話しかけるコロンナに対し、ミケランジェロが「あなたはわたしを本物以上に思っています」と答える話など、二人の心の交流が実によく出ています。ミケランジェロは、1535年に、敬虔なキリスト教徒であるコロンナのために素描『十字架のキリスト』を描き、一つのソネットとともに贈っています。
 
「あなたから降り来るめぐみが、わたしの弱く滅びやすい仕事に応うなどと思うことはいかばかり愚かでしょう。才能も、技術も、名声も、みな服従します」(同書p.229)