5、ああ、何とあきれた豪勢な、修道僧の食べぶり

 1766年秋に西方への大旅行からザルツブルクに戻ったモーツァルトは、3年後の1769年12月13日に今度は父・レオポルトと二人だけで、イタリアへの旅に出ます。幼い子どもだったモーツァルトは、13歳の少年になっていました。

 1771年3月28日までの1年4か月に、インスブルックを皮切りにブレンナー峠を越えてボルツァーノ、ロヴェレート、ヴェローナ、マントヴァ、ミラノ、パルマ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、ヴェネチイアなど22都市をめぐった旅は、従僕もなく、自家用馬車も使わず、貸馬車などを現地で調達してのものでした。アレグリ作曲の秘曲ミゼレーレを、ローマのシスティナ礼拝堂で一回聞いただけですべて書き写す技を見せたのも、この時の旅ですし、モーツァルト本人の手紙が残されるのも、このときの旅からなのです。

 この旅では、レオポルトの事前の“手紙作戦“が功を奏したのか、地元の貴族たちが宿泊先の提供から、食事の招待、あるいは馬車を提供するなど、下にも置かないもてなしぶりで二人を遇してくれたことが、とくにレオポルトの手紙からわかります。天才少年を一目見たさに、教会での演奏会があるときなどは町の人たちで押し合いへし合いの騒ぎが起き、モーツァルトの肖像画を記念に描く貴族まで現れたのです。行く先々で地元の新聞が何かと話題にし、ローマでの”秘曲ミゼレーレ暗譜事件“は、ザルツブルクの新聞にまで掲載される大変なニュースになりました。

 彼らが、旅行先でどのようなものを食べていたのかも、垣間見えます。「ひどい悪臭のする子牛の貯蔵肉」「父ドリンク・チョコレート、モーツァルトはおいしいスープ」(インスブルックへ向かう途中の村ヴェルグル。1969.12.14妻への手紙)。この手紙の追伸として、モーツァルトが母と姉・ナンネルに書いた手紙から、モーツァとはスープに砂糖を入れて飲んでいたことがわかります。「いちじく、メロン、(絵でしか見たことのない)スイカ」(ボローニャ。1770. 8.2 妻への手紙)。イタリアでは果物が豊富なことが、ほかの手紙にも出て来ます。

 旅の間、二人が宿泊する場所として何度も世話になったのが修道院でした。修道院と言えば、神に近づくための禁欲修行の場、の印象が普通でしょうし、敬虔なカトリック教徒であった少年モーツァルトが、そのように考えていたとしても不思議ではないでしょう。ボローニャから姉・ナンネルにあてた追伸には、その豪勢な食べぶりで少年・モーツァルトを驚かせた一人のドミニコ修道僧の姿が、コミカルに描写されています。

 「ぼくらは光栄にも、あるドミニコ修道僧とおつきあいしています。彼は聖者とみなされていますが、ぼくは事実それが正しいとは思いません。なぜって、彼はよく朝食にチョコレートを一杯飲んで、そのあとつづいて強いスペイン酒をグラスになみなみと飲むのです。
 ぼく自身、この聖者といっしょに食事をさせていただきましたが、彼はさんざんワインを飲んだあげく、最後に食事をしながらグラスにあふれんばかりの強い酒を飲み干し、たっぷり二切れのメロン、桃と梨を数個、コーヒー五杯、鳥を皿一杯、レモン入りミルクをなみなみと二杯、どうやら、彼はわざとこんなことをしているのかもしれませんが、でもぼくはそうは思いません。なにしろこれは多過ぎます。ところが午後のおやつにもたくさん召し上がります」
(1770.8.21。レオポルトの母への手紙のナンネルあて追伸)
 
 オペラ『ドン・ジョヴァンニ』のフィナーレ「夕食の用意ができたようだな」で、赤ワイン・マルツェミーノを片手に豪勢な食事をしているドン・ジョヴァンニを彷彿とさせるような話ですね。ひょっとしたら、このときの修道僧との食事体験が、このシーンの下地になっているのではないか、と考えると楽しくなってきます。イタリア旅行を始めたころに、ナンネルあて追伸で「お腹がペコペコ、なにか大いに食べたいな」とモーツァルトは、書いています(1769.12.14)が、きっとこのときは、ご相伴にあずかって腹いっぱい食べたことでしょう。ちなみに赤ワイン・マルツェミーノは、モーツァルトがこのイタリア旅行で訪れた町の一つロヴェレートの地ワインです。
 
 修道士とは、原則として『聖ベネディクトゥス戒律』(6世紀に成立)に従って修道生活をする人々に対して用いられます。その戒律の第三十九章に「食物の分量」、第四十章に「飲料の分量」、第四十一章に「食事の時間」の規定があり、一日の食事は昼食と夕食の二回、ときには一食のことも。パンは一日約300グラム、料理したもの二品(小麦粉か野菜)、果物か新鮮な野菜があれば三品目として供する。飲料は、一日約0.75リットルのワインで、ときと場所によってビールか、または蜂蜜酒が与えられました。つねに腹八分で過食をしないこと、酒は飲みすぎないこと、とくに中世の修道院では「絶対に四足獣の肉は食べてはならない」と規定されていたといいます。
(参考:朝倉文市『修道院―禁欲と観想の中世』講談社現代新書)

 モーツァルトを“もてなした”ドミニコ派は、教育や布教に従事する修道士なので、必ずしも『聖ベネディクトゥス戒律』に縛られないそうですが、それにしてもこの凄まじい“破戒僧”ぶりにモーツァルトがあきれたのも無理はないでしょう。

 とはいえ、自給自足が原則だった修道院が、多様で多彩な食文化を生み出してきたのも忘れてはならない事実でしょう。16世紀にジャガイモやソラマメ、七面鳥をヨーロッパに初めて伝えたのは修道士たちだったし、ブルゴーニュ・ワインやイタリアの白ワイン・フラスカーティを開発したのも修道士たちでした。香水も修道士たちの薬草室から生まれたそうです。

 フランスのベネディクト会修道士ドン・ペリニョンが、発酵中のワインを瓶詰めして放置したら偶然に出来たシャンパンの話は余りにも有名ですね。この名前を付けた高級シャンパンが、いわゆる「ドンペリ」です。スコットランドが誇るウイスキーも修道士の発明…など、修道院と食べ物のさまざまな関係には枚挙にいとまがありません。
(参考:ペーター・ゼーヴァルト/ガブリエラ・ヘルペル『修道院の食卓』島田道子訳、創元社)