5、アナグマからの哲学-私たちは一匹の蝶

 さて、いよいよ本日は、この講座の目指している頂点、動物になったら見えてくる哲学、について皆さんとご議論したいと思います。お配りしているチャールズ・フォスターの『動物になって生きてみた』(西田美緒子訳、河出書房新社)の「第2章 土そのⅠ―アナグマ」をお読みいただけましたでしょうか。イギリス・ウエールズのブラックマウンテンを舞台に、息子のトムとともにアナグマのように地中の穴で過ごした6週間の記録から、一つの哲学的なメッセージが語られています。

 まず、この章の中で、線を引くような大事な箇所はどこで、その理由について発表してもらい、そこから、本日の議題を模索することにいたしましょう。その議題を引き受けて、私が線を引いた箇所を紹介し、お話をさせてもらうことにいたします。

 それは、二人の作家からの問いかけ、あるいはメッセージです。まずは、アフリカ・ケニアに移住してコーヒー園を営むなど波乱に満ちた自伝的小説『アフリカの日々』(メリル・ストリープ主演で映画『愛と哀しみの果て』になる)で知られるデンマークの作家カレン・ブリクセンが、コーヒー園を去るときに自らに課した次のような問いです。

「アフリカの平原に咲く花は、私の服の色に似るだろうか?」(p.94)

 いま一つは、イギリスの作家アンドリュー・ハーヴェイが語った次の言葉です。

「最後に私たちを救うものは、私たちを無視するものだ」(p.95)

 お一人ずつ、それぞれの言葉に込められた意味についてご意見を伺い、フォスターがアライグマ体験から何を語りたいのか、解読していただきましょう。
ミミズを食べ、鼻先で巣穴をほり、アライグマのように地下と地上を往復して生活してみたフォスターは、彼らが五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)を駆使して、自分の居場所を五次元の絵図シルエットの形で脳にマッピングしていることに気づきます。その居場所確認の最も典型的な方法は、犬が尿でやるような糞によるマーキングでした。

 家と会社を往復するサラリーマンも、家庭で子育てして家事をしきる主婦も、私たち人間の日常は、電車一本を乗り過ごしても、溢れるお風呂のお湯を慌てて止めても、一瞬一瞬の変化に対応しないとそれが「死」に結びつく自然界の生活に比べれば、「圧倒的に退屈」(フォスターの言葉 p.89)なものなのではないでしょうか。野生の動物たちは、実によく眠るのは、この緊張が脳を疲弊させ、回復するのに多くの眠りが必要だからです。

 二人の作家の言葉は、二つの対立する哲学的命題に集約されます。

「私たちの存在は、世界を少しでも変えることに寄与しうる」
「私たちが存在しようとしまいと、世界にはどうでもよいことだ」

 小さな巣穴から自分の縄張りだけで生きるアナグマは、世界を変える力はありません。しかし、私たち人間はどうでしょうか。有権者の一人が参加するか、しないかで、結果が大きく変わる可能性があったアメリカ大統領選挙は、最初の命題を指示しているように思えます。私たち一人一人は、その羽ばたきが日本に巨大な台風をもたらして大災害を発生させるブラジルの一匹の蝶のようなもの(バタフライ・エフェクト)かもしれません。