5、プラトンは、全体主義者なのか

『法律』を読んでいて、皆さんから共通して挙げられるのは、男女平等などプラトンが先進的な考えを示す一方で、極めて細かい点まで国が法律によって国民を律するという姿勢が強く見られることです。「個」を国という全体の下に置くというプラトンの発想は、一見国民の安全を守るように思われますが、一方で自由を抑制することにつながります。

 カール・ポパーは、『自由社会の哲学とその論敵 (原題は「開かれた社会とその敵 The Open Society and its Enemies」』(武田弘道訳、世界思想社)のなかで、プラトンは反平等主義であり、階層や職業を固定し、人々を少数のエリートに従属させる全体主義者である、と断定しています。

 かねがねプラトンは、民主主義が自由の暴走を生み、結果的に国を危うくする例をほかならぬ母国・アテナイに見ていました。ソクラテスの死はいわば「民主主義の犠牲だった」とプラトンは考えたに違いありません。

 この本はナチスのオーストリア侵入(1938年3月)を契機に執筆が進められ、世界がナチスの脅威にさらされていた1943年に完成を見ました。プラトンの思想における全体主義的発想を弾劾するとともに、「個」を「全体」に従属させるという考え方をマルクスの中にも見て、これを並行して糾弾しています。みなさんにお配りしたのは第一巻「プラトンの呪法」のなかの「プラトンの政治計画」(第六章-第九章)です。

 ポパーによれば、プラトンの結論は「人類の<堕落>以前の時代の族長制社会へ、無知な多数者に対する賢者の少数者の手による自然な階級支配へ帰れ」であり(上記書75頁)、その根拠として主に次の点を強調しています。

1、 プラトンの「正義」は、現代の私たちが考える「法の前での平等」と「自由の保証」とはかけ離れた「あらゆる変化を、厳密な階級区分および階級支配の維持によって停止すること」にある。(同78頁)
2、 プラトンの平等概念は、『法律』にある「平等でない者たちを平等に扱うことは当然に不公平を生む」(757A)に集約され、これは冨や功績に応じた配分を平等とする「比例平等」である。
3、 国家は弱者を強者から守るために存在する、とのペリクレス的「保護理論」は、個人本位の利己説に落ち着いてしまう(同104頁)。結局、国家の安定を堅持するには、階級特権が必要である。

 結局、プラトンの正義論は、「かれの時代の平等、個人本位および保護説の傾向を出し抜こうとする意識した企てであり、全体主義の道徳理論を展開することで部族本位の要求を立て直そうとする意識した企てである」(同105頁)と、ポパーは断じるのです。プラトンは、結局のところ、民主主義の敵なのでしょうか。
 
 さて、談論いたしましょう。