5、ロンドン:紅茶とバター付きパン、そしてポンチ

大英博物館

(大英博物館。モーツァルト一家はロンドンを立つ前にここを訪れ、ロンドンで作曲した王妃に捧げるソナタ6曲などを寄贈した)

 モーツァルト一家が訪れた時代のロンドンでは、コーヒーに高い税金がかけられ、コーヒー党のレオポルトがこうこぼしている。

「コーヒーも同様でして、1小ポンド(約450グラム)で4ドイツ・グルデン(~26クロイツァー)以上にもつきます。おまけにコーヒーは焙(ほう)じてあって、碾(ひ)いたものを買わなければならず、そのための特別のお店がありますし、家で自分で1ポンドもコーヒーを焙じれば、五十ギニー(~400フローリン。1ギニー=21シリング。1シリング=24クロイツァー、1フローリン=60クロイツァー)もの罰金をとられます。妻がこうした制度に顔をしかめているのをなんとお思いでしょうか。とにかく、英国人諸氏は自分たちの紅茶を人にサービスし、コーヒーのためのお金が国外に流出するのを阻止しようとしているのです。紅茶釜が一日中火にかけてあり、訪問の際には、みんな紅茶とバター・パン、つまりたいそう薄く切って、バターを塗ったパンが出されます。おまけに昼食は2時か3時のあいだで、夜はたいていの人はなんにも食べないか、それとも、たとえばチーズ、バターにパンだけしか食べず、それに強いビールを大きいジョッキで一杯味わうのです」」(1764年6月28日。家主ハーゲナウアーへの手紙)

 もっともイギリスが、最初から紅茶党だったわけではない。1652年にロンドンの一角にコーヒー・ハウスが登場して以来、1714年には8000件を数えるほどの爆発的な隆盛となった。コーヒー・ハウスは、男性たちの知識・情報交換や政治談議の場となり、いわゆる「生活革命」と呼ばれる新しいライフスタイルが生まれていく。しかし、ロンドンのコーヒー・ハウスはやがて「ティー・ハウス」や「ティー・ルーム」「ティー・ガーデン」に取って代わられ、モーツァルト一家がロンドンに滞在していた18世紀の半ばごろには、コーヒーは完全に“あさって”の飲み物になりさがってしまった。

ヘンデルミュージアム
(ロンドン市内にあるヘンデル・ミュージアム。王妃に捧げたソナタの献呈の辞で、モーツァルトはヘンデルと同じように不死になります、とレオポルトは書いている。)

 イギリスでコーヒー・ハウスが衰退した理由として、家庭にいる女性たちの強い抵抗があった、という説は、なかなか面白い。「しがない小商いや職人の類いが一日中、コーヒー・ハウスにたむろして、ニュースを聴き、政治のおしゃべりをする」ことによって、生業が放置されたままになり、家計に大きな穴があく、というわけである。コーヒー・ハウスは「一ペニー大学」とも言われ、格安で物事が学べる、と男性たちは居直ったが、その二倍のお金で一日の食費が賄える、というのが女房族の言い分だった。

 結局、女性たちの声が男たちの声を上回り、家庭で紅茶を楽しむ女性型のライフスタイルが勝った、というのである。事実はどうかわからないが、イギリスの世界貿易に占める卓越した地位(とくに東インド会社による中国からのお茶の輸入)により、お茶と砂糖の価格が極めて安くなり、庶民が楽しむ嗜好品として「ビールよりも安上がり」となって、砂糖入り紅茶を飲むことがイギリスの食事文化の中心を占めるようになった、との考えが妥当なところであるが…。

 モーツァルトの父レオポルトも、ザルツブルクの家主ハーゲナウアーへの手紙で「市民は、いってみれば、次のような暮らしをしています。朝には、自分も家族全員も、また女中も、紅茶を飲みますが、これは途方もなく濃くて、葉が多いのでかなり苦いのです。紅茶のなかにはいつでもミルクかクリームをほんのちょっぴり注ぎ、それにバター・パンをたくさん食べます。…5時ごろにはもういちど、朝とおなじような内容で、紅茶を飲みます」と書いている(1764年9月13日)。

 作曲年代は不肖だが、モーツァルトのピアノ曲に1分10秒ほどの小品「バター付きパン」(別名「一本指のワルツ」)がある。バターを塗ったパンが常食であるイギリスでの食生活が、この楽しい曲をモーツァルトに作らせたことは間違いないだろう。

テームズ河畔の旧ラニラ公園

(チェルシー・テームズ河畔にある旧ラニラ公園 左手 森の奥。モーツァルトの演奏会がここで行われている)

 さて、イギリスといえば、何と言っても「パンチ」(ポンチ)だろう。歌手のマイケル・ケリーは「彼はパンチが大好きで、それをがぶ飲みするのを見たことがあります」と書いている(「回想」1826)。傑作なのが、従妹のベーズレへのスカトロジー(糞尿趣味)丸出しの手紙のなかに、ポンチがユーモアあふれる形で幾度も出てくることである。

 「わがいとしのいとこさまへ。…ウンチだ!-ウンチだ!―おお、ウンチ!-ああ、なんて甘い言葉だ!-ウンチ!―ポンチ!-こりゃうまい!-クソミソ、くらえ!-クソ!-なめろーああ、おいちっち!―クソ、なめろ! こりゃ快感だ!」-クソッタレ、くらってなめろ!-ウンチ、ポンチ、クソ、なめろ!-…」(1778.2.28 マンハイムからアウグスブルクのベーズレへ)

 ロンドンの住民たちの食事事情について家主のハーゲナウアーあてに膨大なレポートを書いた父レオポルトは、贅沢に暮らしている人たちにが口にするさまざまな飲み物に触れ、最後をポンチで締めくくっている。

 「起床のときにはコーヒーが運ばれてきます。ポンチもサービスされます。ポンチは多くの場合二時間ほどあとに出てきますが、その際紅茶や果実リキュール、あるいはリキュール酒も出されます。…ポンチはブランチュと発音されますが、水とラム酒、砂糖にレモンを入れて沸かした飲み物で、温めて飲んでも、冷やして飲んでも随意です」
        (1754.9.13 ザルツブルクのハーゲナウアーへの手紙)。