5、偶然、必然、それとも…腕のいい料理人

 2013年の朝ドラ「ごちそうさん」の主題歌「雨のち晴レルヤ」(ゆず)をちょっと聴いてもらいましょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=9n3h2DAgeno

突然 偶然 それとも必然
始まりは気付かぬうちに

予報通り いかない模様
そんな時こそ 微笑を
ポツリポツリと町の色 変わってゆけば
傘はなくとも雨空に 唄うよ

どんな君でもアイシテル
顔を上げてごらん 光が照らす

 突然の雨のように、何事も思い通りにならない世の中、それでも雨のあとは必ず晴れる、と切なくも「君」への思いを唄う、とても心に響く歌ですね。突然の雨とは、「君」からの別れの言葉なのでしょうか。「君」と過ごした日々は偶然のいたずらのような「奇跡」だったのか、それとも運命とも言える必然の出来事だったのか、「思いがけないこと」に遭遇したときに、誰もが漏らす困惑だと思います。

 前回紹介した南洋の未開社会では、私たちが単純な偶然ごとに過ぎない、と思うようなことを、マナと呼ばれる魔術的な力によるものだと信じていました。このような未開社会の人たちを、笑い飛ばす私たち現代人に対し、ベルクソンは逆にこんな疑問をぶつけるのです。

 「瓦が落ちてきて、通行人を直撃し、その人が死んだとしよう。私たちは、これを偶然事だと考える。しかし、瓦が地上に落ちて壊れただけなら、私たちはそれを偶然などとは言わない。…偶然が介入するためには、結果が人間的意義を持っていて、この人間的意義が原因に反映し、原因をいわば人間性で色づける、ということがなければならない。それ故、偶然とはあたかもある意図を持っていたかのように働くメカニズムのことである。…我々は、あたかも意図が存在していたかのような事態が起こる時に、偶然という語を使う(pp.179-180)。

 いささか回りくどいベルクソンの言っていることを一言で集約すれば、人間の存在しない世界には、偶然は存在しない、ということです。

 「必然/偶然」「開いた社会/閉じた社会」「動的宗教/静的宗教」「知性/本能」などなど、ベルクソンは二元論的な思考を次々と展開していますが、このような「分割」に潜むワナに気付いていました。分割以前の概念の「混合状態」と分割された個々の概念とを、どのような形で統合してベルクソンは哲学を築こうとしたか、それを主題にしたのが前回お配りしたドゥルーズの『差異について』(平井啓之訳、青土社、2000.6)です。

 前回のあとの食事時、お一人が「私」の中に存在する「自分」という興味深い話をしてくれました。また、芸大美術館で開かれていた「シルクロード特別企画展 クローン文化財 失われた刻の再生」

http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2017/sosin/sosin_ja.htmの話をし

について、話してくれる方もおりました。

 どちらも、「差異」を考えるにあたり、とても興味深いテーマになっています。プラトンが導入した二分法(分割法=ディアイレシス)を参考に、概念の分割について考えてみたいと思います。