5、大英博物館にて:きわめて注目すべき音楽家についての報告

 モーツァルトがパリで”世話に“なり、「蹴飛ばしたいやつ」とまで嫌ったグリムのことを、父・レオポルトは全面的に信頼していました。パリから家主ハーゲナウアーにあてた最後の手紙(1664.4.1)で、「偉大なる友人、グリムさん」「学問のある方で、大変な博愛家」「物の道理をわきまえ、親切心を持った人間」とまでもちあげ、レオポルトは、さまざまな推薦状はまったく役に立たず、グリムだけが、宮廷での音楽会を提案・実施し、入場券を320枚もさばいてくれた、と最大の感謝をこめて書いているのです。
 
 そのグリムは、王太子妃の典侍ド・テッセ伯爵夫人にささげた2曲のヴァイオリン・ソナタ(k.8、k.9 通称「パリ・ソナタ」作品Ⅱ)

https://www.youtube.com/watch?v=ULHJSPIapU8 Violin Sonata N.3 k.8
https://www.youtube.com/watch?v=YOh-s3lK5JE  Violin Sonata N.4 k.9

につけた次のような献辞を、7歳のヴォルフガング・モーツァルトの名でしたためています。

 「伯爵夫人さま、あなたさまの音楽に対する御鑑識眼とあなたさまが私に施してくださいましたご好意は、私が自分の乏しい才能をあなたさまにお奉げいたします権利を私に与えてくださいました…」(『書簡全集Ⅰ』146頁)
 レオポルトは、モーツァルトとナンネルの姉弟を讃えた一遍の無名の詩を、書き写してもいます。

「神々と王たちに愛でられる者たちよ、妙なる学の音はなんたる力を有するものか! 変幻自在なる響きが汝らの指のもとで吐息をもらすとき、なんたるこまやかさと学識がみられるものか!…手に触れるにいたるものすべてが、汝らにありては霊感をもちてあり」(同148頁)

 モーツァルト一家は1764年4月10日、パリを発ってロンドンへと向かいます。大変な船酔いをしながらドーヴァー海峡を渡った一家は、トラファルガー広場にほど近いセシル・コートの「理髪師カズン」宅に居を構え、2回の転居を経て、1765年8月1日にカンタベリーを経由してオランダのハーグに向かうことになるのです。
 
 1年4ヶ月のロンドン滞在中に、クリスティアン・バッハの影響を強く受けた最初の交響曲第一番変ホ長調k.16をモーツァルトは作曲しました。

交響曲第一番変ホ長調k.16
https://www.youtube.com/watch?v=f7Dj5yUdf-w
San Francisco Academy Orchestra, Andrei Gorbatenko

 アインシュタインの言葉を借りれば、それは「無邪気な」作品(『モーツァルトーその人間と作品―』白水社、298頁)かもしれませんが、その堂々とした響きに、最後の41番ハ長調<ジュピター>を連想してしまいます。

画像の説明

 一家はロンドン滞在の最後の日に、大英博物館を訪れ、最初の声楽曲モテット『神はわれらの避け所』k.20などを、アマチュア画家のカルモンテルがパリで描いた一家の肖像画(『書簡全集Ⅰ』144頁にレオポルトによるいきさつ、あり)の銅版(左)を添えて贈っています。

 イギリス学士院で報告されたモーツァルトのテスト結果の長文の報告「きわめて注目すべき幼い音楽家についての報告」(『書簡全集Ⅰ』224-232頁)には、幼いモーツァルトの神童ぶりが余すことなく伝えられています。