5、映像のポイエーシス ー「鈍い意味」

 市民に大幅に自治を預ける埼玉県志木市の実験は、自治とは何か、を考える格好のテーマでした。これに対し、お一人は「現代は、自治不在の時代ではないか。小学生のころ、学校の先生が『君たちにまかせる』と、授業を放り出して生徒たちに勉強までまかせる時代があった。自分たちで授業を組み立て、結構いろんなことを先生不在で出来ていた。あれが、自治だったのではないか」。

 お一人は、町長の強いリーダーシップのもとに「平成の大合併」に反対し、町・議会・町民が一体となって「合併しない宣言」のもとに行政改革を推し進めた福島県・矢祭町の例をあげてくれました。「議員定数の削減」「議員の日当制」「町長ら幹部クラスまでが清掃に従事」「収入役の廃止」「年中無休のフレックスタイムを導入した役場窓口」「職員自宅を役場窓口とする制度の導入」「新規職員の募集停止」など、経費削減と行政サービスの向上を同時に実現している自治体として、全国から視察が絶えない話題の自治体になっています。

矢祭町の歴史と行政の変革 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E7%A5%AD%E7%94%BA
 
 発案者の根本良一町長は、6期24年の長期政権を築いたのち引退(1983.4. -2007.4.17)、副町長だった現町長(古張允=こばりまこと)が意思を継いで昨年4月から3期目に入っています。
 
 市長が自らを「ゼロ化」することによって町政の市民化を図ろうとした埼玉県志木市の実験は、「第2の市役所」が内在する自己矛盾によって崩壊しました。町長が自身を「てこのポイント」とした矢祭町の成功は、行政のあり方に一石を投じているように思います。
 
 さて、今回は、映像のポイエーシスと題して、映画は何を創生しているのか、をテーマに論じてもらいましょう。お配りした資料・加藤幹郎「映像と音響のポイエーシス-映画の20世紀」『20世紀の定義6ゲームの世界』岩波書店、2002.2)には、タルコフスキーやロラン・バルトなど、映画人や哲学者らによる、映画は何を「創生」しているか、が語られています。

 映画は、単なる娯楽、つまり人々に「楽しみ」や「慰安」を与える媒体の枠組みを越えて、ときには故郷を失った人々にとっての無意識的ノスタルジーの場となり、ロラン・バルトが「鈍い意味」と呼ぶ、作り手の意図とは無関係の「個人」や「集団」に突き刺さる「意味」が内在される表現媒体ともなっています。

画像の説明

 ここでは、黒部第四ダムが誕生するまでのさまざまな人間模様を交えた映画『黒部の太陽』(1968年公開。熊井哲監督、三船敏郎・石原裕次郎主演)の前半部を見てもらいます。後ほど資料として、高校時代にこの映画を見たことによって、ダム建設に生涯を捧げることになった竹村公太郎氏の最新作『水力発電が日本を救うー今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる』(東洋経済新報社、2016.9)を、お配りします。そこには、建設省に入省して主にダム・河川事業を担当し、国土交通省を退官後のいまから数年前、再び見る機会のあった『黒部の太陽』に「意味の再発見」をしたことが書かれています

 彼は、その”発見“によって、自分の人生観を根本的に見直し、大きなダム建設を捨てて、小さなダム建設(小水力発電)により日本にエネルギー革命を起こすことを決意するのです。一体、彼の発見とは何だったのか、ロラン・バルトの言ういかなる「鈍い意味」が『黒部の太陽』に隠されていたのか、皆さんに「推理」していただきたいと思います。

 解答は、皆さんのお話が終わってから、資料とともにお知らせすることにいたします。