5、父・レオポルトの処世術

      「音楽家たちを翻弄した戦争の荒波」

「ああー《おまえたちはお金を得ようと努めねばならぬ》…おまえはマインツ選帝侯のところで自分の演奏を聴いてもらうだけでなく、引き出物を現金でもらうようにすることを心がけなければいけないし、それにもしとにかく可能なら、コンサートを、それも町のなかでできるようにしなければいけません。というのは、町には多くの貴族がいるし、政府も全部そこにあるからです。…あらゆる場合に、《時計》を貴族たちのあいだで《引き取って》もらうよう動いてくれる貴婦人をだれかさがしてみることです」(ザルツブルクの父から、マンハイムのモーツァルトへ。1777年11月20日)
「お前が一覧表でもっているすべての方がたは、身分の高いお人たちであって、おまえのことを思い出してくれるだろうし、おまえも顔を出し、かつ遠慮なく表敬訪問し、卑屈にならずに遠慮なく、しかも礼儀を忘れずに援助を乞う必要があります。…こうした慇懃さにはフランス人たちがびっくりするくらい夢中になり、こうした重要人物たちや彼らの知人が突然みんなおまえの友人になってしまうのです」「さて、当時私たちが知り合ったほかの人たちの名前をなお若干書き出しておきましょう。…ハープ奏者…お前も知ってのとおり、愉快な道化者です。…氏、うぬぼれ屋のチェロ奏者です。ヴァイオリン奏者、…劇場等の歌手。…作曲家。等々。…こうした人たちとのつきあいはなんの得にもならず、それどころか、…害になるだけだというのはお前も知っています。…身分の高い人たちとはいつでもほんとに自然に振舞ってよいが、ほかの人たちとは英国人のように振舞うのです。…あんまり正直にしてはいけません!…それにまた、《友だちの前でも》、いつおまえが《金をもらったか》、あるいは《どのくらい金をもっているか》については《なにも気どられないよう》にして下さい」(ザルツブルクの父より。マンハイムの息子へ。1778年2月9日)
「さて、おまえにヨーロッパの危険な情勢について、まだ説明しておかなければならない。もしおまえが分別をもっていたら、結末がどうなるのかを静かに、危険もなく、満足して持つことができる最良の場所がザルツブルクだと、すぐにもわかるだろう。ロシアはもうすでにバイエルンに対するオーストリアの占有に反対を表明しました。…-要するにです!恐ろしい大戦が勃発です。…そうしたときには、君主たちは音楽や音楽家たちとはまったく別のなにかを考えなくてはならない。…だから、おまえはただちに私の指図に従って出発してほしい…それとも、私自身が駅馬車に座って、おまえを連れてこなくてはならないのか。私の息子だったらそんなことまではさせないだろう!」(ザルツブルクの父から、ミュンヘンのモーツァルトへ。1778年12月28日)