5、由らしむべし、知らしむべからず

 今回皆さんにお配りした『論語』の金言ともいうべき一節は、どれも耳になじんだものばかりで、ある意味では、ほとんどが当たり前のことを言っているように感じられます。これも、「『論語』? ヘヘン」とつい言いたくなってしまう理由なのですが、泰伯第八にある「子曰く、民はこれを由らしむべし、これを知らしむべからず」は、さて、と首をひねりたくなる一文です。

 泰伯第八は、曾氏の言葉がいくつも引用されていることで前回も取り上げましたが、三度も天下をゆずるなど権勢にこだわらない泰伯のことを「至徳第一」と讃えるなど、政治リーダーのあり方が孔子の言葉として語られています。

 「民は…」のところを、たとえば金谷治は「先生がいわれた、人民は従わせることはできるが、その理由を知らせることはできない」(金谷治訳注『論語』岩波文庫、p.110)と簡単に訳し、吉川幸次郎は「人民というものは、政府の施政方針に、従わせるだけでよろしい。何ゆえにそうした施政方針をとるか、その理由を説明する必要はない、と普通に解されている。儒家の政治思想の封建性を示すとされる一文である」(吉川幸次郎『論語上』朝日選書、p.262)と説明しています。

 ただし中国でも解釈が古来いろいろあり、「人間の法則に人民は知らず知らずに従っている。その従っている理由を自覚させるのは難しい」「政府の施政方針を人民全部がその理由を知るのは理想だがなかなか難しく、従わせることはできても説明することは難しい」などの声があることを、吉川は例としてあげています(同pp.262-263)

 阿川弘之は、このところを、中国や北朝鮮ではお偉いさんのことは、知っていても語らず、触れようとすると「エヘン、エヘン」とさえぎられる、とユーモラスな小文にまとめています(阿川弘之『論語知らずの論語読み』講談社)。知っていて書かないのは、新聞も同じだ、とも書いていますが、“大奥のこと”はこっそりと口コミだけで交わされるのは古今東西、いつでも、どこでも、同じではないでしょうか。

 「由らしむべし、知らしむべからず」についての達観は、渋沢栄一だと思います。
「孔子がもし、今日の明治に生まれたなら、『民衆には施政方針を知らせるべきであり、自立させるべきだ』と必ずおっしゃるに違いない」(渋沢栄一『論語講義』平凡社、p.161)

 簡単に言えば、政治の内実について、施政方針についてくだくだ説明する必要はない、それが良いか悪いかは自分で考えて、判断させるべきだ、というわけです。人民に自立意識を芽生えさせなければ、いつまでも国に頼るばかりで、政治の幅はひろがらないことになりますからね。つまりここに書かれているのは、むしろ批判精神の育成を促すものであり、人民の意識改革を求めている、ということになります。

 そうだとすれば、孔子は「造反有理」の毛沢東精神を先取りしていることになるでしょう。ひょっとしたら、毛沢東が孔子を学んで大衆に行動を促したとしたら、なかなか、面白い歴史解釈ができあがりますね。

 さて、皆さんは、この一文、どのように解釈するでしょうか。