5、神の似姿としてのモナ・リザ

 前回の終了後に、お二人からダ・ヴィンチについての”発見“の話をいただきました。「受胎告知でマリアが天使に左手をかざしているのは、拒否を表していると思います。ダ・ヴィンチは無神論者ですよ」「手記の中で能力としてあげている癇癪と色欲は、好色だった父親への皮肉ではないでしょうか」

 さて、今回はいよいよ『モナ・リザ』の秘密に迫ってみたいと思います。彼が亡くなったとき、手元に置いていた絵画が、『洗礼者ヨハネ』と『聖アンナと聖母子』そして『モナ・リザ』だったことはよく知られているところです。定説に従えばモデルは、フィレンツェの商人・ジョコンダの夫人リザで、モナは既婚女性の敬称「Madonna」(貴婦人)の略称なので、「モナ・リザ」は文字通りに言えば貴婦人リザの意味になります。

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 ダ・ヴィンチの熱心なファンであったマントヴァ侯爵夫人イザベラ・デステ(リザは「イザベラ」の略称)がモデルである、との説(田中英道『モナ・リザはなぜ微笑むのか』PHP研究所、2008.5、pp.10-28)にしたがってみると、ダ・ヴィンチ筆によるデステの横顔肖像画(右、ルーブル美術館蔵)の顔と右手の配置が、『モナ・リザ』をどこか彷彿とさせる気もしてきます。

 モデル探しは皆さんにおまかせするとして、ここでは『モナ・リザ』の本質へと切り込んでいくことにしましょう。前回お配りした資料マーティン・ケンプの「生きている地球」(マーティン・ケンプ『レオナルド・ダ・ヴィンチ』藤原えりみ訳、大槻書店、pp.123-138)は、自然をマクロ宇宙、人間をその写し絵としてのミクロ宇宙と見立てるダ・ヴィンチの世界観・宇宙観が、『モナ・リザ』に込められている、との視点を提示しています。

 「地球には植物的な精気がある」「土は肉、骨は岩石、腱は凝灰岩、地下水は血液」とのレスター手稿に見られる考え方(同書p.123)は、地球を大きな生命体と見る現代のガイア思考を思わせるものです。

 手記の「地質と化石」のなかにも、同様な考えが開陳されています。「人間は古人によって小世界と呼ばれた。確かにその名称はぴったりとあてはまる」「人間が自分の内に血の池―そこにある肺は呼吸するごとに膨張したり収縮したりするーを有するとすれば、大地の肉体はあの大洋を有するが、これまた世界の呼吸(潮汐)によって六時間ごとに膨張したり収縮したりする」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(下)』岩波文庫、p.150)。

 マーティン・ケンプは、モナ・リザの背景の地形は、トスカーナ地方の地形を模しながら、「特定の場所の似姿を描こうとしたのではなく、自然の再創造を試みた」ものであり、「レオナルドが神のごとくに創造した『彼自身』の大地の風景であった」(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』p.137)と述べています。

 ダ・ヴィンチは、手記の中で「画家は、自分を魅惑する美を見たいとおもえば、それを生み出す主となる」「絵画は自然の孫、神の御身内と称すべきである」と言っています(『手記(上)』pp.191-192)。聖書の神うんぬんよりも、自然の中に「聖なる神」を彼は見ていたのではないでしょうか。
Mona_Lisa,_by_Leonardo_da_Vinci,_from_C2RMF_retouched
 『モナ・リザ』は、大宇宙である自然、すなわち神を、小宇宙としての人間モナ・リザに描きこんだダ・ヴィンチの哲学そのものだったと思うのです。