5、私がいるからこの宇宙があるー「人間原理」からの発想

 皆さんとお話していると、当たり前のことですが関心の中心は、人間、にあるようですね。「宇宙の話と哲学がどうつながっているのか、その話を聞きたい」「AIの時代には、人間は素粒子レベルまでそっくり再生が可能になるのか」から、早くも次回の講座「こころの哲学の中身は?」の問いまで出て、ご関心の跳躍ぶりに感歎しております。
 
 最初に、ホーキングのつぶやき「科学者が宇宙の誕生からその死まで俎上に載せて議論するようになって、哲学者はすっかり出番をなくしている」を紹介したことを憶えているでしょうか。これは、哲学者の問題というよりも、科学的思考に席捲されて、私たち人間の心から「哲学」が追い出されている、とホーキングが示唆しているように取れます。
 
 さて本日は、宇宙の存在を、私たち自身のことから見直す「人間原理」から、改めて「私という存在は何なのか」を考えることといたしましょう。「人間原理」とは、単純化すると「私があるように宇宙は進化してきた」別の言葉で言えば、宇宙は「私(人間)を存在させるような都合の良い宇宙になっている」というものです。

 ビッグ・バンから始まり、星々が生まれ、そのなかの地球にDNAを遺伝子に抱く生命体が発生し、そして私たち人間が登場してきたそのストーリーは、余りにも私たち人間に都合よい筋書きに思えませんか。この世界にアインシュタインの相対性理論とは別の理論によって構成されている宇宙はないのでしょうか。既存の量子力学とは違ったミクロの物理学に支配されている宇宙はないのでしょうか。こうした科学的定式を含めて、宇宙は私たちが生まれるように仕組まれているような気がしてきます。

 「人間とは何か」を考えるにあたって、おひとりの受講生が紹介してくれた映画「アンドリュー」(ロビン・ウイリアムズ主演、クリス・コロンバス監督、2000年5月13日公開)を観てもらいましょう。「そう遠くない未来。心を持つのは人間だけとは限らない」と副題にあるこの映画は、ある家庭で注文した家事手伝いのロボットが、次第に自我に目覚め、注文主から離れて独立した意識体として存在し続けます。

 「アンドロイド」を次女アマンダがなまってこう呼んだことでアンドリューと名付けられたロボットは、やがて人間になることを願い、奇妙な科学者によって、体内の機械を人間と同じ形、機能をした人工臓器に置き換えてもらってゆきます。そしてアマンダとそっくりの孫娘と恋に落ち、最後に彼女とともに「死ぬ」ことを望み、手を結びあって死んでいくシーンがエンディングとなるのです。

 アイザック・アシモフ原作のまま「BICENTENNIAL MAN」(200年の男)をタイトルとしたこの物語は、アンドリューが孫娘と死ぬまでの200年の物語であることを示しています。

 「哲学」とは畢竟、人間とは何か、につながる「問い」の集まったものです。宇宙時代になって私たちは、ホーキングの発言と違って、ますます「哲学の世界」に投げ込まれていると言っても過言ではないでしょう。

 さて、あなた方は、宇宙の中の人間に、何を見、何を期待していますか。