5,えっ、イデアを担うのはダイモン?

 お一人のご質問「アリストパネスの喜劇『雲』の表題の雲にはどんな意味、役割が込められているのか」、について、前回の説明では不十分だったので、改めてご説明いたしましょう。

 『雲』のなかで、雲は合唱団「コロス」として登場し、ストーリーの展開から、登場人物の心理描写に加えて、天の声、の役割を担っています。ここで、「天」とは、万有を差配する超越的な存在を意味します。

 『雲』のなかで、「神(テオスθεός)」は存在せず、雷を起こすのはゼウスではなく「雲(ネフェライΝεφέλαι)」だ、とソクラテスに語らせます(ギリシア喜劇Ⅰアリストパネス上、田中美知太郎訳、ちくま文庫、p.244)。

ストレプシアデス「オリュンポスにいるわしらのゼウスは、神さまではないというのかね」
( ὁ Ζεὺς ~οὐ θεός ἐστιν)
ソクラテス「ゼウスがどんなものかお目にかかりたいくらいだ。ゼウスなんてものはいないのだ」(οὐδ᾽ ἐστὶ Ζεύς.)
ストレプシアデス「ゼウスがいないとしたら、だれが雨を降らせるのですかい」
ソクラテス「むろん、この雲だ」

 いくら喜劇とはいえ、これは、ギリシアの神々を冒涜するものであり、ソクラテス裁判で、ソクラテスの思想として告発者メレトスらに利用されたのも無理のないところでしょう。「テオス」は決して貶めてはならない聖なる存在であり、絶対的真理としてギリシア人の心の中にあることをもちろんソクラテスもわかっているからこそ、メレトスらの非難に対して、彼もまた、自分の言動がいかに「神(テオス)」に従っているかを、強調したのです。
 
 「ソクラテスほどの知者はいない」とのデルフォイの神託をカイレポンから聞かされたソクラテスはこう問いかけています。

「いったい何を神は言おうとしているのだろうかΤί ποτε λέγει ὁ θεός」(6、21b)

 その意味を求めて、アテナイの知者とされる人々と対話を繰り返し、「知らないことを知っている私の知(無知の知)が私を第一の知者するのではないか」と思い至り「神だけがほんとうの知者なのかもしれないο θεός μονάχα είναι σοφός」と、悟るのです(9,23a)
 
 ここで使われている「神」も「θεόςテオス」です。
 
 プラトンは、アリストパネスを登場させた『饗宴』で、称えられることのほとんどない神「恋(エロス)」とは何かを議論させ、ディオティマなる女性にエロスは神ではなく「ダイモン(神霊)」である、と説いてゆきます(202e)。そして、「エロス」は「それ自身が、それ自身だけで、独自に、唯一の形相(イデア)をもつものとして永遠にあるもの」であり、「それ以外の個々の美は、その美を分有している」(211b)と、のちに『国家』において洞窟の比喩などで語られるイデア論の原型をディオティマは語ります。

 それにしてもダイモンがイデアを担うとは、一体、どういうことでしょう。