6、ニーチェとホーキングを結ぶエントロピー増大の法則

 さて本日は、哲学者ニーチェとホーキングをつなげて、人間と宇宙の問題を考えることにいたしましょう。

 ホーキングが探究したさまざまな問題の中に、時間の矢、があります。「時間は過去から未来に流れている。しかし、未来から、過去には流れないのだろうか」と考えたホーキングは、あるときブラックホールのなかでは時間が逆転する、との結論を難しい数式を駆使して証明した、と弟子や仲間たちに告げました。

 コップの水にインクをたらすと、インクは水の中に混ざって行きます。混ざる方向が、時間の矢が向かう向きです。新品のトランプをばらばらにしながら机の上に崩していくのも同じで、バラバラのトランプが新品セットに自然に戻ることはありません。これが、時間の矢の向きです。

 ホーキングは、この時間の矢の逆転現象がマクロの宇宙でも起きるのではないか、と考え、宇宙が膨張をやめて収縮を始めると、時間が過去へと逆に流れるのではないかと想像をたくましくしました。もしそういうことが起きるなら、収縮宇宙のなかでは星々が次第に粒子へと分解してゆき、地球では進化の逆現象が起き、お年寄りが赤ちゃんへと戻って行く、そんな不思議なことが起きることになります。

 ホーキングの描き出した結論は、立てた仮定の間違いによって、時間の矢の逆転は起きないことが弟子たちによって証明され、ホーキングは自分の間違いを認めたのです(『「ホーキング、宇宙を語る」ガイドブック』、林一訳、早川書房、pp.175-180)。

 バラバラにしたトランプが自然には整理された元の状態には戻らない、水に垂らして交じり合ったインクも自然に元には戻らないーーこれを「エントロピー増大の法則」と言います。エントロピーとは、簡単に言えば、物事の秩序・無秩序の状態を表す指標で、それは、情報の量と同義となるので、エントロピー増大の法則は、情報量はほっておくと減っていく、とも言い換えられます。

 ホーキングは、ブラックホールは膨大な情報の蓄積場所(つまり、エントロピーを減少させるところ)であることも数式で証明しています。彼はその数式を自分の墓石に刻まれることを望んでいました。その式によれば、グーグルの持っているすべてのデータを陽子の10の10乗分の1の半径のブラックホールに書き込むことができるそうです(別冊日経サイエンス229「量子宇宙」2018.10.18、p.13)。

 アメリカの哲学者アラン・ブルーム(1930-1992)は、「ニーチェは文化の衰退によって精神の弓が張りを失い、永久に緩んだままとなる危険について論じた」とし、文化の衰退は人間そのものの衰退を意味し、これを「精神のエントロピーの増大」ととらえました(ローゼンハーゲン『アメリカのニーチェ』岸正樹訳、法政大学出版局)。

 精神がゆるみ、秩序なき状態への傾斜が加速する「時間の矢」に抗する唯一の方法は、精神にエネルギーをそそぎ、「張りのある状態」を保ってゆくことです。

 絶えざる知的刺激によって、常に精神を高揚した状態にしている皆さんは、その代表的な方々ですね。