6、人間行動のモデル化

 正議論に対する社会的選択アプローチの最も重要な貢献は、たぶん、相対的評価を持ち込んだことである。先験的ではなく、相対的な枠組みは完全に公正な社会とはどのようなものか(それについては合意が存在するかもしれないし、しないかもしれない)を考えるのではなく、何が選択されるべきかの決定が採られるべきかを考えるときに、その背後にある実践的理由に注目する。正義論は、実際に直面している選択について何か言うことができなければならず、想像上の、ありそうもない、打ち負かすことのできない荘厳な世界に我々を没頭させ続けるようなものであってはならない。
             (アマルティア・セン『正義のアイデア』p. 169-170)

 前回は、一受講生の「正義よりも不正義に対して私たちがより敏感なのは、私たちの利害につながるからではないか」との問題提起で始まりました。阪急阪神ホテルの調理メニュー虚偽表示を私たちが不正義だと感じる根っこには、信頼に対する裏切り行為への怒りがある、という視点で皆さんが一致しました。一方、みずほ銀行の反社会的集団(暴力団関係者)融資の問題をめぐって、ある受講生が、人権という幅広い文脈からの視点を提起しました。これに対して、一人が「ホテルにおける料理メニューの虚偽表示に比べると、私たちの税金が間接的に使われることになる今回の問題は、次元が違うより大きな問題である」との論陣を張りました。いま一人は民主主義の「いかがわしさ」を指摘しました。
 ここで、補助テクストに使った市井三郎著『歴史の進歩とは何か』(岩波文庫、1971.10)の中で、私たちが「正義」を求めるのは、「普遍的な価値」が侵されている、と感じるときと、「仲間はずれ」が起きている、と感じるときの、二つによるものである、とする歴史的分析(p.190-191)を確認しておきましょう。ホテルなどの虚偽表示は、「嘘」や「信頼」といった普遍的な価値観にからむものでした。みずほ銀行の一件は、銀行に対する信頼の裏切りに見えますが、その背後には反社会的集団とみなされる人々を「仲間はずれ」にするという意識が働いています。ある種の集団を反社会的行為者として「仲間はずれ」にすることは、中国においてウイグル族を反社会的行為者として排除する図式とどこか通底しませんか。誰かを排除することによって、多数派は保護される状態となり、排除された集団は「見えない存在」へと落とされていきます。みずほ銀行の事件は、多数派を常に「善」とする民主主義の「いかがわしさ」が垣間見えるが故に、人によってはどこか割り切れない思いを抱かせるのです。
 私たちは、いくつもの可能性のなかで、何が「最善」であるかを考えながら物事を選択しています。今日のテーマの「厚生経済学」は、それらの選択の中で、何が良くて、何が悪いか、を扱う学問です。「良い」「悪い」はまさしく「善悪」の問題に通じ、「何が正しいか」に通じる正義論の経済版です。

<6回議論のまとめ>                     

 今回は、一人が、日本型(家庭、とくに女性の奉仕に頼る中福祉中負担)、スエーデン型(政府主導の高福祉・高負担)アメリカ型(市場依存の自己責任・自己負担)の三つの福祉モデルを新聞記事から示し、「あなたならどれを選択しますか」と呼びかけました。オランダで生活した6年間の体験を持つ女性受講生は、消費税が19%の国における人々の暮らしについて話してくれました。「安売り店がほとんどなく、家電製品などはみな近くの店で買う感じ。人々の生活はとても似ていて、同じような家に住み同じような車に乗っている。年金が充実しているので、貯金もそれほどしない。女性たちの多くが働いているので、家事などはお手伝いさんを雇ってやってもらったりしている。ワークシェアリングがうまく機能しているように見えた」
 別な受講生、はオバマ大統領主導の国民皆保険法案が民主党・共和党の対立でフリーズし、アメリカがデフォルトに陥る危険が起きていることを問題にしました。「国民皆保険は、ロールズの貧しい人たちが不利にならないようにする政策であり、私は正しい道だと考えている。強いアメリカにこだわる共和党が強固に反対していることが問題の根幹にある」。
 茂木が、サミュエルソンの提案した「欲望」と「実現値」の単純な関係 
     欲望/実現値 
を参考に示しました。この比が1を上回る場合、欲望を小さくして調整するのが節約・デフレとなり、実現値をあげて調整するのが経済成長路線、となります。共和党の懸念は、国民皆保険は経済の実現値を超えて財政を悪化させる、ことへの不安の表われではないか、とは茂木の指摘。ある受講生は、お金の問題よりむしろ人種問題がからんでいるのではないか、とコメントしました。中国が米国国債を5,000億ドル、日本も3,000億ドル近くを保有していることに照らすと、アメリカのデフォルト⇒世界経済恐慌という一受講生が心配する図式もあながち非現実的とは言えないかもしれません。
 ある受講生が、「世界に良い影響を与えている国」を比較するBBCの国別好感度調査をあげ、「日本は昨年の世界一位から今年になって四位に急落した。社会の現象を見ると、日本はどうも病理に陥っているような感じがして仕方がない」と指摘しました。これを受けて別の一人も、「新大久保などのヘイト・スピーチを見ても、日本人の最近の行動がどうにも気になる。レストランにおける虚偽表示の問題で最も被害を受けているのは、調理する現場の職人たちではないか。彼らは良心に反したことをやらされて、深く傷つき、職場に出ることがつらい状況にまで追い込まれている。技に誇りを持つ日本社会の美徳が侵されつつある」と語りかけました。
 最後にもう一人の女性受講生が、あるおむつメーカーによる「10時間サラサラ」というPR広告を問題にしました。「カントは、実践理性批判の中で、人間を手段として用いるだけではなく、その存在の目的から考えなければならない、と言っているそうです。お母さんたちは、おむつが濡れて気持ち悪いことを赤ちゃんが表現することによって、赤ちゃんとコミュニケーションをとっている。あのPR広告は、10時間も赤ちゃんをほっておいてよいということになる。子育ては情感を育てることにあるのに」と重要な指摘をしてくれました。
 こうした指摘は、マネーの分配方法の良し悪しについ偏りがちだった議論に、一石を投じてくれました。「人間本来の生き方とは何か、まで考えなければいけないのでは」との一人の方の指摘は、正義論が向かうべき方向を示唆しているように思います。