6、小塩節「クスリ指10分の1秒の遅れ」

 ドイツ文学者の小塩節も、名うてのモーツァルティアンです。少年時代に叔母からピアノでモーツァルトを習っていましたが、“習わされ“ている感覚がぬぐえず、「モーツァルトのどこがいいのか」と、投げ出してしまいました。とくに、厳しい叔母が、モーツァルトの6歳のときの作品k.1のアレグロを弾いている小塩に「クスリ指が10分の1秒遅れている」と指摘したことがトラウマとなっていました。わずか10分の1秒遅れたって、何が問題なんだ、というわけです。
 
 モーツァルトを弾くことはやめたものの、ずっと気になっていたモーツァルトの音楽が、呼び覚まされたのが、ザルツブルクの音楽祭で聴いた『魔笛』でした。第二十曲のパパゲーノのアリア「女の子か女房が欲しいよう」にさしかかったとき、それが子どものころ嫌になってやめたあのk1のアレグロであり「心底震えた」と、語っています(小塩節「私のモーツァルト」『モーツァルトへの旅』光文社、pp.225-229)。

 モーツァルトは、「ぼくはどんな人の音楽でも、そのやり方で作曲できる」と、父レオポルトへの手紙に書いていますが、悪く言えば”盗作“の名人で、ヨーゼフ2世を前にしての腕比べで競演したピアニスト・クレメンティのピアノ・ソナタOp.47-2アレグロから、『魔笛』の冒頭部分の旋律を実質的にパクっています。わずか6歳の自分のメロディーを、30年後の新作に入れ込んだことは、遠い過去の自分のパクリなのか、それともすでに6歳のときに「モーツァルトモーツァルトだった」と言うべきでしょうか。

 いや、バーンスタインがいみじくも言っているように、「モーツァルトにはバッハだけでなく、ベートーベンやシューベルト、ワーグナーさえも予想させる。ショパンの巧緻さ、マーラーの熟考も」(バーンスタイン『音楽を語る』岡野弁訳、全音楽譜出版社、1972.7、p.85-86)とすれば、モーツァルトは「最初から音楽のすべて」なのかもしれません。

 小塩が翻訳した神学者カール・バルトもまた、熱烈なモーツァルティアンでした。4歳か5歳のころ、音楽的な才能があるとバルトが認めていた父親がある曲を弾いたときに「これだっ!」と骨身に染みた体験を、印象深く『モーツァルト』(小塩節訳、新教出版社、1984.12,pp.97-98)で書いています。

 それは、『魔笛』のパミーナのアリア『タミーノ、おお何たる幸福よ』だったのです。そのバルトは、「実に多くの人の耳と心があなたに向けられ、知識のある人もない人も、また私のようなものも、あなたを今なおいくたびも繰り返し聴き、悦びとしていることを、…どうか信じていただきたい」(同書p17)と告白しながら、次のような逸話を編み出したのでした。

 「天使たちが神を賛美しようとして、ほかでもないバッハの音楽を奏するかどうか、これには絶対の確信はもてない。…けれども、彼らが仲間うちで相集まったときには、モーツァルトを奏し、そのとき神様もまたその楽の音をことのほか悦んで傾聴なさるだろうこと、これは確かだ」(同書p.18)

 バルトが著書で触れている『ピアノ五重奏曲変ホ長調k.452』や、12歳のときの1幕物オペラ『バスティアンとバスティエンヌ』との出会いの場も紹介しましょう。