6、手持ちの現金はとっくに底をつき、収入のあても…

            (『旅の日のモーツァルト』pp.77-90)

 この日は、聖徳大学音楽学部教授でピアニストの原佳大先生が、私たちの講座のために、特別のコンサートを開いてくださいました。タイトルと内容は

「ピアニストにとってのドン・ジョヴァンニ」
   ーd-moll(ニ短調)という調性に視点をあて、モーツァルトの心情をさぐり、
その作風が後の作曲家にどんな影響を与えていったか。

 原先生は、この講座に「乱入」と称して、たびたび演奏とお話をプレゼントして下さっている。今回も、ピアノを弾きながら、話をまじえて、素晴らしい時間を過ごすことができました。

 次のようなお礼のメールをさしあげました。

 今日は、またまた、素敵な演奏とお話をありがとうございます。

 ピアノで演奏していただいた『ドン・ジョヴァンニ』の序曲が、まだ頭の中で
響いております。すべてのモーツァルトの曲が、オペラ的だというお話に、
膝を打つ思いでした。

 母の死とイ短調、父の死とニ短調、の対比は実に興味深く、調性を通じて、
モーツァルトの父母への心情を垣間見たような気が致します。

 バッハのフーガが40番や41番交響曲に絶妙に使われていることを知った驚き、
ベートーベンの第九やシューマンにまで、モーツァルトが染み込んでいることへの
感慨、おかげさまで、ますますモーツァルトが大好きになりました。

 本当にお忙しい中での特別のご乱入に、改めて深く感謝申し上げます。

<レジメ>
 メーリケがコンスタンツェに語らせているように、『ドン・ジョヴァンニ』の作曲を始めた1987年代のごろからモーツァルト家の家計は火の車の危機状態になりつつあった。かつての大きな収入源だった予約演奏会は激減し、何十人もの申し込みがあった時代に比べると、ついには彼の最大の理解者であるヴァン・スヴィーテン男爵一人、という状態にまで陥るのである。
 1788年6月から始まるいわゆる「プフベルク書簡」は、モーツァルトの経済的危機が尋常ではなかったことを如実に示すものである。
「あなたの真の友情と兄弟愛にすがって、厚かましくもあなたの絶大のご厚意をお願いします。-あなたには、まだ八ドゥカーテン(36フローリン)を借りています。-いまのところ、それをお返しすることができない状態にあるのに加えて、さらに、あなたを深く信頼するあまり、ほんの来週まで…100フローリンを融通して助けて下さるよう、あえてお願いする次第です」(1788年6月)
 富裕な商人であるプフベルクはフリーメイソンの盟友であり、このときはモーツァルトの申し出のままに100フローリンを送金している。しかし、モーツァルトの借金申し込みは急速にエスカレートし、それからすぐ、「私の持って生まれた率直さから、いかなる美辞麗句もなしに、単刀直入に本題に入ります」との書き出しで、1,000~2,000フローリンという大金をプフベルクに申し込むのである。そして、こうまで懇願するのである。
「人は無一文では、なにごともできません。…第二に、不安から解放されて、自由な心で仕事をすることができます。つまり、もっと稼げるということです」「どうぞせめて明朝までに、2~300グルデンだけでもお貸しくださるようお願いします」(1988年6月17日以前)
 この法外な借金申し込みに対して、プフベルクが送ったのは200フローリンだけだった。
 それからわずか十日後の手紙は、「借りたものをかえすことができず、あなたの前に現れる勇気がない」で始まる、悲鳴ともいえる悲痛なものである。
「私の現状は、どうしても借金せずにはいられないほど困窮しています。-でも一体、だれに頼ったらよいのでしょうか? あなたを措いて、最上の友よ、ほかにだれひとりいません!…尊敬すべき盟友よ、もしあなたがこのような状況にある私を助けてくださらないなら、私が保ちたいと望んでいる唯一のもの、私の名誉と信用を失います。…もし私の願いが聞き届けていただけるなら、やっと自由に息がつけることでしょう。そのときには、生活が立ち直り、それを維持することもできるでしょうから。…」(1788年6月27日)

 弦楽四重奏曲に敬意と感嘆のしるしとして60ドゥカーテン(270フローリン)送ったとメーリケの小説にある(p.89)エステルハージ侯爵は、いうまでもなくハイドンの庇護者貴族である。この四重奏曲は、ハイドンの弦楽四重奏曲から触発されて生み出されたいわゆる「ハイドン・セット」(6曲 k.387,k.421,k.428,k.458,k.464,k.465)である。