6,ダイモンの正体とは
前回は、お一人が発表してくれた 「ソクラテスの弁明」の考察 で、ソクラテスがギリシアの神々を超えた真理の体験者としての絶対神のような存在を意識していたのではないか、と提案し、お一人から「一神の存在に納得です」との共感が得られました。
お一人は、北京オリンピックのスノボーで、選手の一人が「無知の知」のアンダーウエア―を身に着けていることに気づき、「感激した」との話をしてくれました。中国では西安に大学人チェン洪果(ホンクオ)氏が開く「知無知」なる文化サロンがあることをつい最近知り、思いもかけないところでのソクラテスとの出会いに、感嘆を禁じえません。
本日はダイモンをキーワードとして、ソクラテスと神との関係をさらに考察して行きたいと思います。『ソクラテスの弁明』には、たびたびダイモンの話が出てきます。
「ソクラテスは犯罪人である。…国家の認める神々を認めずθεοὺς οὓς ἡ πόλις 、別の新しいダイモンのたぐいを祭るἕτερα δὲ δαιμόνια καινά.がゆえに」(11 24c)
「わたしには、なにか神からの知らせθείο πράγμαとか、ダイモンからの合図και υπεράνθρωποとかいったようなものが、よくおこるのです」(19 31d)
田中美知太郎訳で「ダイモンの合図」とされているところの原文は「υπερ」(~を超えた)と「άνθρωπον」(人間)の合成語υπεράνθρωπο(人間を超えた何か)で、「超自然的な徴」(久保訳)「神霊のようなもの」(納富訳)「ダイモン的なもの」(山本訳)と、訳者によって表現が多彩です。
「ダイモン」は「神のようなもの」「神的な働き」(古川晴風編著『ギリシャ語辞典』大学書林、p.235)のことで、これの形容詞「ダイモニアス」の名詞形「ダイモニオン」がよく「神霊」と訳されたりします。
「日常と違った行動・言動を取ったときに、ダイモンのせいにする考えかたがギリシア人世界ではずいぶん古くから使われてきた」(田中美知太郎『ソクラテス』岩波新書、p.103)そうで、すでにソクラテスを遡る400年昔のホメロス(BC~8世紀)の作品にそうした表現が見られます。このダイモンを、ギリシアの人々は「神」(テオス)と名指しはできないが、「人知では測れない力」として、その存在を認めていたようです。
ヘシオドス(~BC700年)は、ウラノス(天)とガイア(地)に始まりオリュンポス山上の十二神(アポロンなど)のトップとして君臨するゼウスが、英雄ヘラクレスなど無数のギリシアの神々の主神となるまでの歴史を、詩の形で滔々と歌い上げました(廣川洋一訳『神統記』岩波文庫)。『ソクラテスの弁明』でたびたび登場する「神」は、メレトスが言うように、この八百万の神々とそれを統括するゼウスを指していることは疑いないでしょう。
ソクラテスは、「神ではないダイモンをあなたは認めている」とのメレトスの主張に対して、「そのダイモンというものを、われわれは神もしくは神の子と考えているのではないか」と問いかけ(15 27d)、メレトスから「まったく賛成する」との答えを引きだしました(同)。そして、「神を信じないはずのぼくがダイモンを信じているかぎりにおいて逆に神を信じていることになる」(同)と、メレトスの矛盾を突いて行くのです。