7、「ほとんど無」としての生命(いのち)

 フランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチ(1903-1985)のことをご存じならば、あなたはかなりの哲学通ですね。そう、ハイデガーが主題とした哲学上の最大の概念「存在」を、「ほとんど無」の名称のもとに展開し、その考えをもとに「死」の問題にまで踏み込んだことで知られています。彼は、対談集『死とは何か』(原章二訳、青弓社)の冒頭、「死について哲学することは可能でしょうか」と問われて、こう答えています。

 「友人のマルクス主義者に死について書くと言ったら、『本当かい。人類が月に行き、世界がこんなない緊迫しているいま、あんたは他にすることがないのかね?』とやられました。でも、一人だけこう言ってくれた友人がいました。『うん、そうだね。みんな誰かを亡くしたことがあるからね…』」(p.13)
 
 この身近な人の死との出会いのことを、ジャンケレヴィッチは「二人称の死」と呼んでいます。芸能人が死んで話題になるような死は三人称の死、私たち自身の死を一人称の死、と彼は名付けます。

 「犬も猫も私たち同様に存在します。しかし、どんな動物も、存在に驚くことはありません」と彼は言っています(p.52)が、では、「死」についてはどうでしょうか。

 死に出会えば、人間は驚き、畏怖しますが、動物もまた人間と同じように、驚き、畏怖することをお配りした『動物たちの自然健康法』13章「死との遭遇」(pp.268-288)に描かれています。なかでも、アフリカ・ケニアで長い間象の研究を続けてきたシンシア・モス博士らによる観察報告は、象がむしろ人間以上に死にゆく仲間に対して反応することを強烈に示しています。
 
 同書に描かれている、動物たちが死んだものに砂や土をかける行為は、人間の埋葬を思わせますが、6万年前にイラクのシャニダール洞窟で生活していたネアンデルタール人は、遺体を花で飾って埋葬したことがわかっています。花粉分析の結果、飾られた7種類の草花「タチアオイ」「アザミ」「ノボロギク」「トクサ」「ムスカリ」「ルピナス」「ノコギリソウ」は、いずれも熱さましやすり傷などに薬効のある植物であることが立証されています。
 
 動物たちが死骸を埋めるのは、死体に群がるハエを避けて感染症のリスクを減らす効果がある、と『動物たちの自然健康法』の著者は分析しています(同p.285)。シャニダール洞窟のネアンデルタール人は一歩進んで、薬効のある植物で遺体を覆うことによって、死者からの感染症発生を防ぐ知恵を身に着けていたのかもしれませんね。
 
 さて、ジャンケレヴィッチは生命を、無から登場する「生」と無へと返る「死」に挟まれた「ほとんど無」の存在である、とし、ドビュッシーの音楽にその表現を見出します(『ドビュッシー生と死の音楽』船山隆ら訳、青土社)。

 たとえば前奏曲集第一巻第3曲「野をわたる風」や第7曲「西風の見たもの」に表されている「風」に彼は「ほとんど無」を感じ、ゴーギャンのよく知られた表題付き絵画「我々はどこから来て、どこに行くのか」をテーマとしたオペラ「ペレアスとメリザンド」の主人公メリザンドを最も知られた第8曲「亜麻色の髪の乙女」に例えたりするのです。

 ドビュッシーの音楽を「生と死の連帯」とまで断じる(p.194)ジャンケレヴィッチ的な「ほとんど無」を、あなたはドビュッシーに感じますか。