7、『モーゼ』

 ヴァチカンのシスティナ礼拝堂に、『天地創造』の天井画を描かせた軍人教皇ユリウス2世が、最初にミケランジェロに依頼していたのが、教皇自身の霊廟でした。この霊廟は、1505年に最初のスケッチが描かれ、ユリウス2世の気まぐれのために容易に建設が進まず、何回もの変更を経て、現在のサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に見られる形になったのです。

 当初の計画では、上段にモーゼ像が置かれ、その下に、いまはルーブル美術館にある二体の奴隷像「瀕死の奴隷」「反抗の奴隷」が置かれる予定でした。1542年のパウルス3世へのミケランジェロの請願書によると、モーゼとこの二体はまだこの時期にして、ようやく完成間近でありました。

 結局、モーゼは下段中央の地上からわずか数十センチの狭苦しい場所に置かれることになり、これは作品にとっていかに悲劇であるかを、フレデリック・ハートは書いています。

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 「そこでは、15分毎に、写真を撮りまくる旅行者たちの新しい一群を導き入れて、彼らに四ヶ国語で、モーゼはたったいまシナイ山からたち戻り、まさに腰掛から立ち上がって黄金の子牛を礼拝しているイスラエルの民に向かい<モーゼの十戒>法典をなげつけようとしているなどと語るガイドたちによって、まじめな学究が押しのけられているからである。…」(フレデリック・ハート『Michelangero』美術出版社、p.156)」

 ハートによると、『モーゼ』は『天地創造』に描かれたいくつかの絵と、その力感や質感がつながっており、足元にまで垂れ下がっている長大な髭は、『天地創造』の「日と月の創造」に描かれている神の長髪からの移入と考えるのが自然だと、言います(同書p158)。たくましい左腕は、まるまる「クマエの巫女」の左腕の画像に由来する(同)、そうですが、それぞれの画像と彫像『モーゼ』を較べると、確かに、なるほどと思わせます。

 旧約聖書の「出エジプト記」で、モーゼはあの有名な大海を二つに分けて、イスラエルの民を追っ手のエジプト兵士から救い出します。イスラエルの民が割れて大地が露出した海を渡りきると、大海は巨大な滝となってエジプトの兵士たちの上に振り落ち、全滅させてしまうのです。
「モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。…」(『旧約聖書』「出エジプト記」pp.94-95)

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 哲学者の和辻哲郎は、その『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫)のなかで、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に行って『モーゼ』を見てきています。そして

「ミケランジェロはギリシア彫刻の偉さを実によく理解していた人であった。…モーゼの像を見ても、ギリシア人と同じやり方では到底適わない、ギリシア人のやらなかった道を見つけたい、という気持ちが非常によく出ていると思う。…」などと書き「むくむくもり上がっている」腕や、肩の肉への抵抗感を表現したあと「そういう仕方で、『うちなるもの』あるいは精神を、外に押し出すことができる。それが彼のねらいであったと思われる」

 と書いています(同書pp.59-60)。

 あなたは、何を『モーゼ』から感じますか。