7、ヴォルテールの「自由」、アランの「自由」

 前回は、ヴォルテールの「寛容」の意味をめぐって、お一人が「他人の意見を認め、徹底的に我慢すること」と理解した、との発言から、「ウィキペディア用語解説」からの引用「寛容toleranceの語源は、enduranceで、もともとは『耐える』、『我慢する』という意味をもつ言葉である。次第に『相手を受け入れる』の意味をも含むようになったが、無条件に相手を受け入れるというより、自分の機軸にあったものだけを許す、という意味あいが強い」などと議論が百出しました。

 今回は『カンディード』の結語「ぼくたちの庭を耕さなければなりません」で、ヴォルテールが何を言いたかったのか(日巻さん提起)について、皆さんと考えてみることにいたしましょう。まずは私から。この部分を読むと、同じフランスのアラン(1868-1951)が『幸福論』(白井健三郎訳、集英社文庫)のなかの「幸福な農夫」で書いた次の部分を思い浮かべます。

 「わたしが最高度に自由なものと呼ぶのは、…自分固有の知識により、また経験に従って、労働する人自身によって規制される労働のことである」と書き(p.156)「自分の畑を耕すのであれば、農業はもっとも気持ちのよい労働である」(p.157)。

 各国の王侯貴族に三顧の礼をもって迎えられ、バリバリの文芸寵児としてもてはやされたヴォルテールですが、「私は熱狂的にわが身の自由を愛していたにもかかわらず、王から王へと遍歴する運命にあった」(ヴォルテール『ヴォルテール回想録』福鎌忠恕訳、中公クラシックス、p.87)と回想しているように、彼が常にもとめていたのは、虚飾の華やかさによって常に奪われる「自由」でした。恋仲になったシャトレ侯爵夫人の所領であるシャンパーニュ地方のシレーの城館にしばらく”隠遁“したのも「私は退屈で騒々しいパリの生活や、小才子の群れや、国王の承認と許可を得て出版されている下らない書物や、文人たちの策謀や、文学を汚している小人たちの下劣さと盗賊的行為に嫌気がさしていた」(同p.3)からで、華やかな世界での煩わしさは「自由の剥奪」と同義語だったのです。

 『カンディード』のなかで、トルコ人の老いた農民に「労働はわたしたちから三つの大きな不幸、つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれる」(『カンディード他五編』p.456)と言わせている箇所の「労働」を「哲学」と置き換えてみましょう。哲学は退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれる、となります。

 哲学に浸るとき、私たちは決して退屈しません。哲学はまさにソクラテスの善的生き方を追求するものであり、それは不品行を遠ざけます。そして何よりも、哲学は私たちに無常の幸福感を与え、貧富を超越します。何も考えずにひたすら荷物を運び続ける担ぎ人足を「担ぎ人足であると同時に、哲学者(フィロゾフ)であったのです」と活写した(ヴォルテール『哲学コント集成(上)』植田祐次訳、国文社、pp.5-6)とき、若きヴォルテールは、自由であることの本質を感じ取っていたのではないでしょうか。

 『哲学書簡』(林達夫訳、岩波文庫)の「九 政治について」で、ヴォルテールは、王と諸侯との葛藤により農夫らの人民が農奴的な王侯貴族の持ち主から解放され、「自由がイギリスでは生まれた」と書いています(p.55)。この解放された農夫の生き方が、『カンディード』の結語、「ぼくたちの庭を耕さなければなりません」へと成熟していった、と考えたいのです。