7、公共的理性としての民主主義

 「精巧な制度的形式を持つ民主主義は世界でも新しいものである(それは2-3世紀以上に古いものではない)。それにもかかわらず、トクヴィルも書いているように、それは社会生活において、もっと長く、もっと広範な歴史を持つ傾向を表している。民主主義を批判する者は、いかに強固に拒否しようとも、参加型統治の深い魅力に目を向けるべきであり、それは今日でも妥当し続け、奪い去ることの困難なものである」
               (アマルティア・セン『正義のアイデア』p.458)

 民主主義(デモクラシーdemocracy)は言うまでもなく、ギリシア語の「デモクラチア デーモス民衆+クラチア統治、支配)由来の言葉で、民衆主権の政治体制のことを言います。ソクラテス、プラトン、アリストテレスの古代アテネは、民主政治と僭主政治の間を揺れ動いた時代ですが、奴隷制に支えられていたとはいえ、直接民主主義の原点があったことは、プラトンの『国家』に見るところです。

 以後、西欧では、中世の封建制度を経て、「自由」「平等」「博愛」の旗のもとに、フランス革命によって民主主義への道が開かれるように見えました。しかし現実には、第一共和政(1792-1804)はナポレオンによる第一帝政(1804-1814)に道を譲り、さらにその失脚により復古王政(1814-1848)へと逆戻りし、ルイ・ナポレオンを大統領に担いだ第二共和政(1848-1852)、そしてナポレオン三世となっての第二帝政(1852-1870)とめまぐるしく政治制度が変わりました。

 トクヴィル(1805-1859)は、第二共和政への幕開けとなった二月革命で外務大臣となり、外交問題に手腕を発揮しましたが、第二帝政へのクーデターで逮捕され、政界を引退しました。アメリカに渡ったのは、復古王政時代の1830-1831年です。フランス革命によって根付くように見えた民主主義が、思ったような「かたち」にならないことに忸怩たる思いだった彼は、アメリカ大陸に根付いた民主主義の現実をつぶさに観察し、名著『アメリカのデモクラシー』(松本礼二訳、岩波文庫)を表しました。

 トクヴィルがアメリカで心底感じたのは、アメリカでは「境遇(circumstances)の平等」、つまり生まれに左右されず、誰もが平等に世の中を渡ることのできる社会が現実化していることでした。アメリカの選挙制度や陪審員制度に、民主主義の好ましさを見た反面、熱しやすく冷めやすい民衆の不安定さや、官僚統治の危険性など、負の側面もいろいろ指摘しています。しかし、そうしたマイナス点があったとしても、多数の福利を目的とした民主主義は、フランスにも根付かせるべきであり、世界の歴史はその方向に進んでいる、と結論づけています。
 「完全な平等は、民衆がこれを捉えた瞬間にいつもその手から逃れ、パスカルが言うように永遠の遁走(『パンセ』断片72)を繰り返す」(第一巻下、p.55)との名言を残しています。

 アメリカの民主主義は「フロンティア精神が生んだ」とする歴史学者フレデリック・J・ターナーの議論(なかにトクヴィルも引用されています)が興味深いので、核となる部分を紹介しておきます。