7、生命は終わりなき道を歩くーシン・ゴジラはエラン・ヴィタルの申し子か

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 前回は、皆さんの口から多彩な「無」が登場しました。山歩きの一歩一歩に感じる「無心」、ふと見上げた空の星々と一体になったときの自己の「消滅感」、滋賀県・坂本の「滋賀院」に掲げられた「一微塵」の書を思い出して「人は無から無限大までを自由に行き来できる」との感慨、「終わりなき道を歩く」限りの「無い」永遠の道行き」、心身脱落した高僧に「その無の境地は本当に背後からの刃を一瞬にして感じてよけることができるのか、と聞きたい」との挑戦。

 今回のテーマ「エラン・ヴィタル」のフランス語「エラン」は、辞書によれば「1、飛躍、跳躍、はずみ」「2、(軍の)進撃、(企業などの)躍進」「3.(感情などの)激発、爆発、(熱情の)ほとばしり、(心の)高ぶり、高揚」の意味を持ちます(『新スタンダード仏和辞典』、大修館書店、1987、p.604)。ベルクソンは、物質から自己組織化する生命体への一気の誕生を「エラン・ヴィタル」と名づけたのですが、訳語「飛躍」「はずみ」「情動」は、どれもいまひとつの感があります。未知なる全体の登場を、積み上げ方の知性に対する直感の働きに比していると読めることも大事なメッセージでしょう。

 物質界の根底に、超意識とも言える大きな流れがあり、人間の意識はこの超意識が身体に宿ったものとベルクソンは考えています。エネルギー保存の法則とエントロピーの法則(無秩序化の法則)に支配されている物質界は、全体のエネルギーを保ったまま無秩序にいたる運命にありますが、とくに膨張宇宙では密度の薄まりにつれてやがてすべての場所が絶対零度の「熱的死」の状態に陥ることになります。ベルクソンは物質界を「おもりの落下」にたとえ、秩序化の方向に進んだ生命を「おもりの上昇」にたとえています(『創造的進化』p.279)。
 
 さらに生命体の特質を、エネルギーの蓄積と運動への転化・放出のメカニズムの誕生として、ベルクソンは描き出します(同p.287)。エネルギーの蓄積システムは、植物の炭酸同化作用に始まり、動物の糖質・脂質への蓄積と脳・神経系の構築によって、蓄積エネルギーの放出と運動への転化メカニズムが完成します。炭素Cに負わない別のエネルギー源を使った生命体が宇宙のどこかに存在しても不思議ではない、とも言います(同p.290)。

 ベルクソンが重視しているのは、意識と物質とのコラボレーションです。宇宙に潜在的に存在する超意識が生命体として形になるためには、物質の存在が欠かせません。この類比によって、私たちの意識もまた言語による物質化によって形化(かたちか)すると考えるのです(同p.293)。動物の意識が、瞬間的な判断によって身体を動かすのに対して、人間の意識は知性による積み上げによって、計算された運動体として自己をコントロールすることができます(同p.299)。ライオンが巧みに狩をし、猿が岩場や木の上を俊敏に移動できるとしても、彼らは体操選手のような華麗な技もクライマーの妙技をも開発・発達させることはできません。

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 生命進化は絶えざる創造であり、終わりなき道である、とベルクソンは考えています(同p.300-301)。映画(『シン・ゴジラ』)のシン(新・真・神)・ゴジラは、放射性廃棄物をエネルギー源に取り込み、4段階に進化する新しい生命像として描かれています。この映画は、「エラン」による新たな生命分岐を予兆しているように感じるのは私だけでしょうか。