7、疾風怒濤か怒りの炎か 25番ト短調k.183

 一世を風靡したミロス・フォアマン&ピーター・シェーファーの映画『アマデウス』(1984年)の冒頭に使われている曲が、モーツァルト17歳のときの作品(1773年、ザルツブルク)、交響曲25番ト短調k.183の第一楽章です。前回、フルトヴェングラーとカラヤンの”饗宴“として聴いてもらった40番ト短調k.550に対して《小ト短調》と呼ばれています。

 モーツァルトは、本人曰く“田舎気質“が蔓延するザルツブルクの生活を嫌って、華やかなウイーンにあこがれていました。とくに、大司教コロレドの“囲いもの”的な扱いに、我慢がならなかったのです。その象徴的な出来事が1881年6月に大司教の側近のアルコ伯爵と、待遇をめぐって言い争いとなり、足蹴にされた25歳のときの事件です。これをきっかけに、モーツァルトは大司教のもとを去ってウイーンで独立した音楽家としてのスタートを切ることになります。

 奔放なモーツァルトに「なぜお前は私に恥をかかせるのだ」と怒り心頭で苦言を呈した大司教コロレドに対し、「それなら私をやめさせてください」とモーツァルトが言い返す映画『アマデウス』前半のシーンは、このときの出来事がもとになっています。

 実は、その前兆がすでに1773年の夏にありました。この夏、ウイーンに赴いたコロレドを追って、モーツァルトは父レオポルトとともにウイーンに行き、ザルツブルクを離れるための”工作“をします。しかし、コロレドはそれを許しませんでした。コロレド及びその宮廷に対する「内に秘めた遺恨」が、この年の10月に作曲された初めての短調交響曲である25番k.183として結実した、とするのが、もっともらしい説明です。

 この時代、短調は交響曲に使われるのは稀で、ロビンズ・ランドンらがまとめた「18世紀交響曲の主要カタログ」によると、700曲のうち短調は五十分の一しかないのです。ある音楽研究者は「18世紀の作曲家にとって、短調の交響曲は、何かしら特異なものを意味していた。第一楽章、第四楽章の調性として用いられた場合には、短調は情熱あるいは苦悩を表現していた」と指摘していることに照らし合わせると、モーツァルトがこの時期に突然、しかも初めて、短調の交響曲を書いたことに、コロレドに対する「遺恨」や「憤懣」を込めたとしても不思議ではない気がしてきます。

 小ト短調の調性は、第一楽章ト短調、第二楽章変ホ長調、第三楽章ト短調+ト長調、第四楽章ト短調で、この図式にぴたりとあてはまります。(参考:ロビンズ・ランドン「モーツァルトとロマン的危機」(海老沢敏編、『モーツァルト探究』中央公論社、pp.156-183)

 ときあたかも、ゲーテの『若きウエルテルの悩み』に象徴される「疾風怒濤」(シュトルム・ウント・ドランク 嵐と衝動)の文学運動がヨーロッパに吹き荒れ、音楽の世界にも飛び火していました。封建的な縛りからの開放、マグマとして噴出寸前の若者の情熱とロマン、を特徴とする精神運動の流れが、モーツァルトの心にも入り込み、この小ト短調の爆発的な感情のほとばしりとなって現れたのかもしれません。

 ネヴィル・マリナー指揮による『アマデウス』の小ト短調は、テンポが速すぎて、感情の表出が激しすぎる気がします。ここではカール・ベーム指揮、ウイーンフィルの演奏を聴いてもらいましょう。激しさのなかにも、モーツァルトのやさしくも華やかな美が、輝いているのを感じてもらえると思います。