7、絵画こそ、一番の芸術

 お配りしているダ・ヴィンチの『手記(上)』(岩波文庫)から、絵画を芸術の中で一番におくダ・ヴィンチのまずは、詩との比較です。絵画が実態を写し取るのに対して、詩はその影を描くに過ぎず、画家が一瞬に示すものを詩人はペンが擦り減ってしまい、結局は描き出せないとし、「絵画は物言わぬ詩であり、詩はめしいの絵画である」と断じます。

 ダ・ヴィンチは、五官のなかで視覚を最優位に位置づけ、「触覚は眼より価値の低いもの」(p196)であり、味覚や聴覚、臭覚を含めた四官は「時が束の間にこれを破壊する」(p.197)とされます。一瞬のうちに生まれて死ぬ音楽は「絵画の妹」」(p.205)だとも言います。

画像の説明

 白鳥に身を変えて絶世の美形レダに迫った古代ギリシアの神話に基づく絵画『レダと白鳥』(右)のことと思われますが、その絵を買った人が接吻するためにレダの像を切り抜こうとした話(p.203)は、「『絵画』は『詩』より速やかに感官を動かす」(p.204)と断じるダ・ヴィンチの面目躍如たる逸話でしょう。

 そして、彫刻との比較に入り、「彫刻家が画家より大きな肉体的労力によって制作をいとなむのに対して、画家はその作品をより大きな知的労力によって創る」(pp.205-206)とし、彫刻家と画家の様子を次のように対比的に描き出しています(p.206)。
 
 彫刻家は…しばしば塵埃とまじって泥と化した大汗をかき、顔はべとべととなりすっかり大理石粉でまみれてパン焼き職人のごとく、しかも体は貼りつけたように細かなピカピカの破片でおおわれ、住居も石の破片や粉でいっぱいに汚れている。
 その点、画家には正反対のことがおこる。というのは画家は大へんらくらくと、立派ななりをして自分の作品の前に座り、うるわしい顔料で世にも軽い筆を走らせ、自分の好きな衣装に身を飾る。しかもかれの住居は美しい絵であふれていておまけに清潔だ。

 子どもじみた比較に続いて、光と影のつけ方や遠近法において彫刻は絵画に劣り、空気遠近法は彫刻に無縁、など、あれこれ絵画の優位を説いたあと、「私は次のように言って『彫刻』相手の宣告くだすことをもって満足するものである」と結論づけます(p.209)。

 「絵画」のほうが美しく空想にとみ内容豊富であるが、「彫刻」はもちがよいだけでほかに何の取柄もない。「彫刻」は余り苦労せずにあるがままのものを示す。「絵画」は触ることのできぬものを触れるように、平らなものを浮上っているように、近いものを遠いように思わせること、奇蹟さながらである。実際、「絵画」は無限の思索で飾られているが、「彫刻」は思索を使用していないのである。

 ポール・ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法』(山田九朗訳、岩波文庫)から、ダ・ヴィンチ芸術の本質を見事に分析した頁(pp.42-50)も配布。NHK放映の「ダ・ヴィンチ驚異の技を解剖する」

https://www.youtube.com/watch?v=lMc6BpXsjUk

も見てもらいます。皆さんのダ・ヴィンチ観はいかがですか。