7、身体のポイエーシス

 前回は、「オチ」について「緊張と弛緩」「過去へと戻っていく動きがオチの本質」など、有意義な意見を拝聴したあと、2014年リヨン・ダンス・ビエンナーレでの、勅使川原三郎によるダンスを見てもらいました。「操り人形のよう」「動く彫刻を感じた」「女性の踊りが完成。男性の踊りは未完成で、ひたすら完成に向かって作る動き」「重さに対して、軽さの表現」など、多彩な意見をいただきました。

 今回は、勅使川原三郎のダンスが、何を「創発」しているのか、そのことを考えて行きたいと思います。彼の一風変わったタイトルの著作『骨と空気』(白水社、1994.10)から、まずは、彼のダンスが目指しているものを抽出してみましょう。

 「踊りは空中の各々の見えない点と点をたどっていく骸骨の早業だ。骨の踊り。つまり関節ダンス」(p.65)「ダンスのおもしろさは意識された関節ではなく無意識の関節が生む動きからくる。関節には無意識に動く(感じる)自由がある。ダンスは全てのことを頭ではなく関節で感じなければならない」(p.66)

 勅使川原三郎のダンスは、すべてこの言明から来ているといっても過言ではありません。「空中にある無数の点」を感じるのは、彼の関節であり、その点を結ぶことによって彼のダンスが生まれます。目に見える(動く体)と目に見えない物質(音と空気)が溶け合い、彼の言う「空気の彫刻」「場所の彫刻」「時間の彫刻」が出来上がっていきます(p.62)。これが、「捉えどころのない意味以前の形」(p.63)であり、「動くことで意味を越える」(p.67)というわけです。

 「動きはイメージとしては記憶に残るが、消えていく。消えては現れる、点在して移動していく、それがダンスだ」(p.213)。この自らのダンスを、勅使川原は「なんておもしろいんだろう」(同)と楽しみながら、踊っているのです。

 河本英夫は「動きを通じて、空気の中の「流動性」「まばらさ」「反発」「澱み」など、環境の特質が身体知覚され、その都度環境との境界を切り続け、運動を通じて境界を形成することが、同時に環境の身体知覚であるという、運動と認知の二重作動が起きている」(河本英夫『システムの思想―オートポイエーシス・プラス』東京書籍、2002.7、p.253)と、勅使川原のダンスを巧みに分析しています。

 勅使川原の言いたい事は、「心は自由になれるが、身体は自由になれない。しかし、自在になることはできる」なのではないでしょうか。ダンスによって勅使川原が「創発」しているものは、身体の「自在」なのです。この自在によって、勅使川原は空気の中に溶け込んでゆき、千変万化に流動する環境と一体(相即)となるのです。

 「関節の中に会話や議論があるんですよ。それなしに『自在性』は生まれないんです。関節を動かそうとする以前に、そこには『ああだ、こうだ』という会話がある。…(関節との)関係を作るためには千の言葉、万の言葉、あるいは千の音色、万の音色、色彩でも距離感でも何でもいいですが、それを感じとる感受性なしには『関節』は動かない」(同書p.256)

 この言葉は、対話するソクラテスの「自在性」を思い出させますね。彼にとっての「関節」が何であるかは、実に興味深い問題です。