8、「最適解」を切り抜く孔子の「活人剣」―あるいは一つの詰め将棋

 孔子について、最初に抱いた感想は、なんでこんな人が、釈迦やキリスト、ソクラテスとならんで4聖人の一人として掲げられているのか、だった。たとえば「学んでときにこれを習う。また、楽しからずや」とか「友遠方より来る、また嬉しからずや」などを例にとれば、どちらも当たり前のことで、孔子関連の言説を集めた『論語』の言葉は、ごく日常の「常識」の集成のように思われたのである。強権をもつ中心を失って、中途半端な国々が乱立する時代に、優れた軍師の一面があるわけでもなく、天命に従えとか、礼儀作法が大事だとか、人間関係を大切にしろ、と簡略化できる彼の言葉の数々が、3000人とも言える弟子を抱える「学団」となり、国々の君主から招かれて講義までする、そんな力を持っていたことが不思議でしかたがなかったのである。
 
 釈迦の「縁起」や「空観」といった哲学的な概念、「右の頬を叩かれたら、左の頬を出せ」といったキリストの「普遍的な人類愛」、ソクラテスの「ひたすら自己を律することに努めよ」という克己の精神、それに比べれば「私は曾晳のように、暮春に川の水を浴びて、風にふかれながら、歌をうたって帰る、そのような日々を送りたいものだ」(「先進11-26③)」などの孔子の言葉は、生き方における一つの理想を述べているとしても、現実の社会を変える力には成り得ない、と思われたのだ。

  孔子の言動が、これほどまでに人々に受け入れられてきたのか、その根本の理由が見えてきたのは、「願回」の次の述懐に触れてからである。
子罕09-11
09-10 顔淵喟然歎曰。仰之彌高。鑽之彌堅。瞻之在前。忽焉在後。夫子循循然。善誘人。博我以文。約我以禮。欲罷不能。既竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之。末由也已。

 顔淵(がんえん)、喟然(きぜん)として歎(たん)じて曰(いわ)く、之(これ)を仰(あお)げば弥(いよいよ)高(たか)く、之(これ)を鑚(き)れば弥(いよいよ)堅(かた)し。之(これ)を瞻(み)れば前(まえ)に在(あ)り、忽焉(こつえん)として後(しりえ)に在(あ)り。夫子(ふうし)循循然(じゅんじゅんぜん)として善(よ)く人(ひと)を誘(いざな)う。我(われ)を博(ひろ)むるに文(ぶん)を以(もっ)てし、我(われ)を約(やく)するに礼(れい)を以(もっ)てす。罷(や)めんと欲(ほっ)すれども能(あた)わず。既(すで)に吾(わ)が才(さい)を竭(つく)す。立(た)つ所(ところ)有(あ)りて卓爾(たくじ)たるが如(ごと)し。之(これ)に従(したが)わんと欲(ほっ)すと雖(いえど)も、由(よ)る末(な)きのみ。

 願淵(願回)はフーッとためいきをついて言った。「仰げば仰ぐほどいよいよ高く、切り込もうとするといよいよ堅い。前におられるかと思うと、ふいにまたうしろにおられる。先生は循循然と(順序だてて)よく人を前に進ませられる。文化的素養によって私の視野を広げ、礼の法則によって教養をまとめ集約してくださる。途中で学ぶことをやめようと思っても、もうやめられない。自分の全力を出し尽くしたつもりでも、先生はすっくと高みに立っておられる。そのあとについて行こうと思っても、よるべき手立てがみつからない」(井波律子『完訳論語』岩波書店p.249)
 
 かなり昔のことだが、ソクラテスの問答法(対話法)は、相手を善とは何か、に向かって誘導する言語的方法である、と書いたことがある。「善」というゴールに向けて、相手をひたすら追い込んでいく、つまり善の実践である「徳」ある行動を、日常的に行うように誘導する方法を、ソクラテスは開発するのに成功した、というものである。一種の詰め将棋のようなもので、対話相手はいつの間にか「善」なる行為をするように追い込まれる、逆に言えば、日常の行為・行動から「善でないもの」をすべて剥ぎ取られていくのである。プラトンらソクラテスの素晴らしさに気付いた者たちは心酔したが、一般の市民たちは自らの恥ずかしい行為を暴かれて、逆に彼を恨むことになった、というわけなのだ。
 
「問い詰める」ソクラテスに対して、孔子は「取るべき道」を指し示す。いかなる問題に対しても、常に「最適解」を用意して、弟子たちを導く。自らが不案内なことがあれば、徹底的に「何が最適解」であるかを知ろうと努める。そのような謙虚な姿勢が典型的に現れているのが、有名な「事毎に問う」(「八佾03-15」)なのである。あらゆる局面で自らも常に「最適解」を模索し、いかなる事態になろうとも、弟子たちや君主たちにその「最適解」を教示できたのが、孔子なのである。

 穀物の作り方を孔子に求めた樊遅に対して「君主が礼を好めば民の尊敬を集め、人々が誠実に生きようとし、生半可に穀物の作り方を学ぶよりも、自然と天下四方の民の力で豊かになる」と、諭した話(「子路13-04」)は、君主というたった一人が変わることによって、天下が安寧になるとの最適解の提示と言えるだろう。たった一言で、すべてを直ちに変える力を孔子に見た子貢の称賛(「子張19-25」)も、いかなる場においても即座に最適解を紡ぎだす孔子の本質を言い当てているものである。「顔淵12-22」にある「正しい者を不正な者の上に置けば、不正な者は遠ざかる」の言は、現代における混乱した企業体が立ち直るための方図を、示していると言えよう。

 孔子の目指す理想社会こそ、「それこそ、私の求めるものだ」と肯定した曾晳の生き方を、すべての人々に行きわたらせることにほかならない。そこは、「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(泰伯八―8)世界が実現しているところであり、豊かな人間関係をもたらす「仁」が、人々の間にあまねく行き渡っている社会である。その実現のために孔子が求めた行動理念が「堯日20-03」の

20-03 孔子曰。不知命。無以爲君子也。不知禮。無以立也。不知言。無以知人也。

 孔子(こうし)曰(いわ)く、命(めい)を知(し)らざれば、以(もっ)て君子(くんし)と為(な)す無(な)きなり。礼(れい)を知(し)らざれば、以(もっ)て立(た)つ無(な)きなり。言(げん)を知(し)らざれば、以(もっ)て人(ひと)を知(し)る無(な)きなり。

 にほかならない。
 「天命」は、「個々の人間」のなかに「命運」として存在している。それは、古代ギリシア人たちが大きな価値を置いた「モイラ」に通じる。これは、運命と通常訳されるが、もともとは「天から与えられた分け前」の意味を持っている。簡単に言えば「己の分にあったことを成す」のが天命に従うことなのであり、個々の人間が、自分の役割を認識して行動することにほかならない。
 
 礼は、ソクラテスが自らの行き方として常に意識した「エピメレイア」に通じる。これは、常に「己を善に向けて律する」ということである。あらゆる行動において、最善をつくすように努めることであり、絶えず何が最善であるかを、あらゆる場面に合わせて自在に変えることである。これは、孔子の「事毎に問う」(八佾03-15)に通じ、常に自己反省のなかに身をおくことにほかならない。
 
 言とは、ロゴスに通じる。ロゴスはもともと「割り切れる比」の意味が原意であり、そこから「理に合うこと」「分かること」「理屈」の意味になり、意味を文節して切り出すものとして「言葉」「言論」の意味を持つようになったのである。「不知言。無以知人也」とは、物事をあらしめる原理(言)がわからなければ、人間そのものを知ることができない、の意味である。この「天命」「礼」「言」によって「仁」が溢れる社会の実現を、孔子は目指していた。「仁」は、「人を愛すること」であり、そのためには「人を知ること」すなわち、その人そのものを知らなければならない、とされるのである(「顔淵12-22」)。

 今回、選出した十の言説は、孔子がさまざまな場面において、風のように(顔淵12-19 「君子の徳は風なり」)人々をそよがせ、彼の理想とする」「暮春の穏やかな風を受けながら、歌をうたって川辺を歩く」状態へと誘う、その多彩な方図をできるだけ揃えてみたものである。

 「政」を正しく進めるにあたって一番に行うべきなのは、「名を正すことである」(「子路13-03」との言説は、最適解の行き着くところは、ロゴスにあるとの孔子の表明として興味深い。すべての名前には、その語の属している意味の巨大な空間があり、その意味を作り上げるのは「生きていること」そのものである。たとえば聖徳太子の「和して同ぜず」は、人間の根本の生き方に関わってくる。トランプが「競争」を前面に出す代わりに「共存」を打ち出したなら、世界の未来図はまったく変わるだろう。まさに、

 名(な)正(ただ)しからざれば、則(すなわ)ち言(げん)順(したが)わず。言(げん)順(したが)わざれば、事(こと)成(な)らず。事(こと)成(な)らざれば、則(すなわ)ち礼楽(れいがく)興(おこ)らず。礼楽(れいがく)興(おこ)らざれば、則(すなわ)ち刑罰(けいばつ)中(あた)らず。刑罰(けいばつ)中(あた)らざれば、則(すなわ)ち民(たみ)手足(しゅそく)を錯(お)く所(ところ)無(な)し。
                          「子路13-03」

なのである。
 駄弁を弄しました。   

 (本稿は、2017.12.21に、メトロポリス読書会で発表したものの採録である)