8、ミラノからヴェネチアへ

 モーツァルトの「音」の底に、皆さんはどのような響きを感じますか。たとえば、清涼な空気のなかで舞い落ちる滝の雫、など。
水の都の迷宮に響く、原初モーツァルトのヴァイオリン。
★資料:オペラ「ミトリダーテ」から二重唱Se viver non degg'io
http://www.youtube.com/watch?v=8CVGkYeRCxo
:聖マルコ広場裏にある建物内でのコンサート。ヴィヴァルディ。
 :教会前での流しの歌。

ヴェネチア・ゴンドラ

「愚息のオペラが、敵手や妬みに思う者たちの大反対にも妨げることなく、大好評を得ましたことをご報告申し上げます。彼らは音符のただひとつも見ぬ前から、この作品が野蛮なドイツ音楽であって、秩序もなければ深みもなく、オーケストラで演奏できないものだと言いふらしまして、そのため、ミラノ市民の半ばまでをして、第一オペラがまるで継ぎはぎだらけの作品だと思い込ませるほどでした。…」(ボローニャのマルティーニ師あて、ミラノからレオポルトの手紙。1771年1月2日)
 「小オーケストラとの最初の練習が行われる前に、皮肉たっぷりな口ぶりで、音楽がもうはじめから稚拙でみじめなものだと言いふらす…こんなに幼い子供で、しかもドイツ人がイタリア語のオペラを書けるなんてとても、できっこないし…劇場に必要なニュアンスなど十分理解し見きわめることができるなど不可能だというのです。こうした手合いはみんな、最初の小編成の練習の晩このかた口をとざしてしまい、もうひと言も喋りません。…歌手たちは男も女もすっかり満足し、喜んでいます。とりわけ第一女性歌手と第一男性歌手は二重唱に大喜びで、プリモ・ウオーモが言うには、この二重唱が気に入られなかったら、もう一度去勢のやりなおしだそうです」(1770年12月15日 ミラノのレオポルトからザルツブルグの妻への手紙)。

ヴェネチア・モーツァルト宿泊地 
バルカローリ橋のたもとにあるモーツァルトの宿泊した場所には、記念のプレートが貼ってあります。訪れる人も多く、みんな写真を撮っています。

 こうして、大成功のうちにミラノを離れた二人は、水の都ヴェネチアに入ります。ここで二人は、連日のようにオペラ鑑賞や仮面舞踏会を楽しむことになります。
「私たちはさいわい元気で、いつもあっちこっちと招待されており、そのおかげで、たえず貴族の人たちのゴンドラが私たちの家の前にきていて、毎日毎日カナル・グランデを通っています。…」(1771年3月1日 ヴェネチア レオポルトからザルツブルクの妻への手紙)