8、哲学とは? 箸休めの質問に答える

 前回は、受講生のドゥルーズ解説に感服しました。プラトンのイデア論以来、当たり前だと思われていた「同一性」の存在を一蹴し、あるのは「差異」だけであり、マラルメの詩「賽の一振り」が描く偶然によって私たちは刻々と変容していく、というのです。

 今回は、受講生方のいくつもの提題に対して、順番にお答することにいたしましょう。

1、 物事の本質を知るための哲学の思考方法とは何か、哲学を学ぶ目的はその思考方法を理解することだと考えてよいのか?

 テクスト『西洋日本の哲学 超入門』の著者は、無造作に「本質」の言葉を使った途端に、哲学的思考方法からはみ出しています。アリストテレスの金言「誰もが知ることを欲する」が、示すように、哲学的思考方法は「それって何?」「えっ、どうして?」「本質って何?」と問うことにあります。

2、 宗教家を哲学者・思想家と同列に扱うことは一般的なのでしょうか?
 
 一般的ではありません。宗教家の考え方にも、哲学的な「それって何?」の問いがあり、哲学者とテーマを共通にしていることから同列にされがちですが、宗教の求めるのは「万人の救い」「救済」であり、哲学は「それって何?」の永遠の問いの連鎖です。

3、 西洋哲学と東洋哲学で、哲学と宗教との違いの扱い方は異なりますか。

 東洋は、宗教のなかに哲学を見ることができるとしても、西洋的な哲学はなかったと考えてよいかと思います。ハイデガーは弟子の九鬼修三から禅の哲学性を学びましたが、西洋哲学の一元論か二元論かの論争を、禅の実践から「絶対矛盾的自己同一」として解決しようとした西田幾多郎は、ハイデガーの一歩先を歩いていたのかもしれません。

4、哲学の使命が「どう生きるか」「社会をどう作るか?」「意識(私)とは?」があげられていますが、ルソーの社会契約論などのほかに、哲学の成果が社会に取り入れられている例として、ほかにどのようなものがありますか?

 「無地の知」(ソクラテス)「人間は理性的動物である」(アリストテレス)「イデア論」(プラトン)「我思う故に我あり」(デカルト)「思考は白板に字を書くようなもの」(ロック)「人間は一本の葦である。細くて弱いが宇宙をも包む」(パスカル)「神は死んだ」「永劫回帰」(ニーチェ)「弁証法」(ヘーゲル)「人は最初から人なのではない。人になるのだ」(サルトル)…こうした名言・金言は、逆に私たちを「これってどういうこと?」と、私たちの思考を促して、「生き方」「社会のあり方」「私とは何か」を考えるきっかけを与えてくれる「大いなる問い」を含んでいます。これこそが、哲学の存在理由です。

5、哲学の進歩・発展とは何なのでしょうか?

 「問いを立てる」ことが哲学ですから、観測や実験によって答えを得られる「科学」と違って、疑問を一枚一枚はいで行っても、いつまでも中心にたどり着かないたまねぎの皮むきのようなものです。ラッセルの盟友ホワイトヘッドの名言「すべての哲学はプラトンの脚注である」は、皮をむいてもプラトンというたまねぎがまた待っている、と読めます。