8、彼はこの世におけるはかない現象…

「この人は速やかに、引きとどめるすべもなく、彼自身の情熱に焼きつくされてしまうのだ、彼はこの世におけるはかない現象でしかありえないのだ、なぜなら現世は彼の身から迸り出る生命の奔流にとうてい堪えきれないであろうから」
              (『旅の日のモーツァルト』p.108)

とメーリケがオイゲーニュに語らせている言葉ほど、モーツァルトの本質を言い当てたものはほかにないのではないだろうか。日本人ならばこの言葉を聞いて、宮沢賢治の次の詩を思い浮かべるかもしれない。
 
 『春と修羅』序    

わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失われ)

 「わたくしという現象」は、二百億年もの前に起きたビッグバンによって誕生した宇宙の長大な歴史の最後(最新)のヒトこまである。五十億年前に太陽系が誕生し、その第三惑星「地球」で生命は、単細胞生物から多細胞生物へと進化し、多細胞生物は複雑な器官をもつ、より多様な生物体へと進化してきた。そしてやがて、「自らの存在を知るに至った」意識をもつ人間が現れた。この何十億年という進化の営みを経て、「わたくしという現象」は、わずか百年足らずを「せわしくせわしく明滅しながら、いかにもたしかにともりつづける」存在なのである。
この宇宙の気の遠くなるような長大な歴史、それに続く生命の歴史は、「わたしという現象」を生み出すための準備期間だったのだろうか。それは、セミが地中の中で長い時間をかけて成虫への準備を進めるように、意識の外で流れ来る時間の産物なのだ。セミが、地中生活の記憶など持たないように、「わたくしという現象」もまた、自らの歴史の記憶を外の時間の流れに置いたまま、せわしくせわしく明滅しながら、やがて消えていく。
 
 モーツァルトもまた、この「ひとつの青い照明」だったのだろうか。