8、毛沢東「民主主義がなければ…」

 「民主主義がなければ、下の方で何が起こっているのか理解できない。一般的状況は分からなくなる。すべての立場から十分な意見を集めることはできない。上の者と下の者の間にコミュニケーションは存在しえない。トップレベルの指導層は、物事を決めるのに偏って間違ったデータに拠らなければならなくなる。このようにして、主観主義者であることを回避するのは困難となる。一貫した理解と一貫した行動を達成するのは不可能となり、真の中央集権体制を達成するのも不可能となる」毛沢東の言葉)
            (アマルティア・セン『正義のアイデア』p.489)

 センは、この毛沢東の言葉をかなり好意的に引用している。つまり、あの毛沢東でさえ、このように言わなければならなかったほど、民主主義の重要さを理解していた、というニュアンスである。しかし、この言葉に騙されてはいけない。毛沢東は、膨大な餓死者を生じさせた大躍進なるプロジェクトがうまくいかなかったのは、正確な情報が自分のところにあがってこなかったからだ、と、自分の非を現場に押し付けているに過ぎないからだ。

 毛沢東は、よく言えば理念が現実を変えるというプラトン主義者であり、中国における彼の立場は一種の「哲人政治」であった。彼のアイデアは、「家庭はなくなる」の言葉に集約されている。個人の利害の中心である家庭をなくし、集団化によって「多様な個人」を差別のない「一様な個人」へと変えることが、彼の理念であった。驚くほど単純なこの原理は、共産主義の理念を実に見事に一言で言い現している。究極の「平等原理」であると言って良いそのアイデアは、なぜ失敗に終わったのか、検証する価値が大いにあろう。

 それにしても、3年間で3,600万人が餓死した、とはいったいどのような現実なのだろうか。一年間で1,200万人、一か月で100万人、一日にすると3万人以上が死んでいったことになる。広大な中国の大地(959万6,960平方キロ・メートル)からすれば、これほどの数が毎日死んでも、一つの地域ではほとんど芥子粒のようなものかもしれない。

 『毛沢東 大躍進秘録』(文藝春秋)の著者・楊継縄が、養父の餓死を最初は個人的なことだと信じたのも無理からぬことだったのだろう。彼は、養父の死の7年後に文革の紅衛兵として故郷・湖北省の省長に会った際、大躍進の3年間で湖北省では30万人が餓死した、という事実を聞かされ、震撼し、我が家に起こったことは個人的なことではなかった」と初めて知ることになる(同書p.23)

 さまざまな死の中で、およそ餓死ほど悲惨なものはないのではないか。現代の私たちは、食べ物がない状態など想像もできない。大地の上から、あらゆる植物や動物が消えてしまう状態など、どうしたら起こりうるのか。無人島に取り残された人間でさえ、知恵と工夫で食べ物を確保できるのである。

 観念的なアイデアによって、大地の食料を消滅させた毛沢東は、ヒトラーを超える大犯罪者ではないか。それがいまだに、天安門に肖像が掲げられ第一の英雄として讃美されることに、この本を読めば読むほど強い疑問が出てくるのである。