8、江戸川乱歩とハムレット

 前回は、トム・ストッパードの『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を題材に、コイン投げの表、裏が何を意味するのかについて、三段論法的に考えていただきました。「コインの投げの表裏は、異次元の世界への通行を表している。たとえば、二人が突然、役者の世界に入り込んだり、ハムレットの場面に転移したり、など」とする秀逸な立論が飛び出しました。

 本日は、江戸川乱歩のいくつかの作品が、シェークスピアの影響下にあったのではないか、との議論を展開したいと思います。まずは乱歩の『屋根裏の散歩者』を見てみましょう。この作品は、自分の住んでいるアパートの屋根裏から住人の生活を覗き見することを趣味にしている男が、嫌いな男を天井から毒液をたらして殺すという話ですが、そのなかに犯人をおびえさせる次の文句を乱歩は登場させるのです。

 Murder cannot be hid long, a man’son may,at the length truth will out.
(真実はつねに現れる。悪事はつねに露見する)

 実に哲学的なこの一文は、『ヴェニスの商人』の中で、シャイロックの召使で道化役のラーンスロットが父親に向かって語る言い草ですが、これを乱歩は「あのシェークスピアの不気味な文句」として犯人の頭に不安を与えるキーワードに使っているのです(「屋根裏の散歩者」『江戸川乱歩傑作集2』リブレ出版、p.97)。

 ほとんど、ハムレットからヒントを得て、物語の核心としているのが「月と手袋」(『江戸川乱歩全集16』桃源社、pp.153-194)でしょう。高利貸し俣野の細君あけみと情を通じているシナリオラーター北村が、言い合いの末喧嘩となり、俣野を殺してしまいます。一計を案じた北村は、パトロール中の警察官と俣野邸の前をたまたま訪れるように仕組み、女優だったあけみに窓から顔を出して手袋をはめた誰かに襲われている一人芝居をさせ、警察官をまんまとアリバイの証言者としてしまいます。

 完全犯罪に思えたトリックを暴いたのが、かの名探偵・明智小五郎でした。捜査のためと称して一人の刑事を俣野邸に出入りさせ、あけみと一緒になっていた北村の前で、あるとき手品を見せましょう、とボール紙を手の形に切って、手袋をはめてみせます。そして、自分の頭が別人の手で抑えられているかのような仕草をして見せるのです。こうして、あの殺人の晩、北村が完全犯罪のために考えたトリックを、刑事は実演していきます。

 トリックを見破られたことにおののいた北村は、気を強く持とうとあけみに促すのですが、その会話をテープレコーダーに録音され、犯罪の証拠にされてしまうのです。

 北村は「明智小五郎に伝えて欲しい」と刑事にこう主張します。「あなた方のやり方は心の拷問ではないか。卑怯な手段です」。これに対して、刑事はこう答えます。「それは違いますよ。今度のやり方は、君が犯人ではなかったら、少しも痛痒を感じないものでした。君たちが恐怖を感じ、拷問されているように感じたのは、君たちが犯罪者だったからです」(「月と手袋」(『江戸川乱歩全集16』、pp.193-194)

 この心理的仕掛け、ハムレットから取ったとは思いませんか?