8、自由往来する魂

 古代ギリシアでは、プシュケーと呼ばれる魂が、自然界にあまねく存在し、人間も、動物も、植物も、その全体としてのプシュケーをいわば共有している、と考えていました。ソクラテスが「身体」を牢獄にたとえ、死んでから魂が解放される、と考えたように、この時代ごろから魂は人間の身体に閉じ込められ、それぞれの「私」を形成する「心」の意味になっていきました。

 さて、『遠野物語』には「魂の行方」として分類された話が八つもあります。火の番をしている娘らのそばをなくなった曾祖母が通り過ぎて炭取りにぶつかりくるくるとまわったという三島由紀夫が「これぞ小説」と激賞した22話のほかに、死に際の病人が寺の門前などで目撃された日に亡くなった話(86-88話)、美しい岩を見かけて持ちかえろうとしたところ、雲より上に浮き上がって人声がするところに連れて行かれた話(95話)、死にそうになったとき空中に飛び上がり菩提寺の門のところまでくると、以前に亡くなった息子がいて「今来てはいけない」と言われ、門のあたりで引き返したら正気づいた話(97話)。妻の魂が狐に取られたかのような話(100話)、そして、佐々木喜善のおじが大津波で亡くなったはずの妻に出会った話(99話)もこの「魂の行方」に分類されています。

 『遠野物語』が出版されてから、柳田国男のもとに届けられた299の物語を妖怪研究家の京極夏彦がまとめたという『遠野物語拾遺』(柳田國男×京極夏彦、角川学芸出版)には、死者の魂や気絶した人間の魂が空間を飛んでとんでもなく離れたところに姿形をともなって現れる話がたくさん出てきます。

 「人の強い想いが凝って出歩くことを遠野辺りではオマクと呼ぶ。生者でも、死者でも変わりはない。強く想えばそれは形となる。遠方にいても病床にあっても、幻となって人前に現れるのである」(154話。p.10)という、オマクなる魂の考え方はなかなか興味深いのではないでしょうか。土淵村出身で東京の近衛連隊に入営していた男が、逆立ちして気絶している間に地上を飛んで村に帰り、妻と兄嫁も彼が家に入るのを見た、というこの154話はその典型でしょう。160話は「オマクは身近に起きることであって、特別なことではない」で始まり、佐々木喜善の幼少の頃に聞いた話として語られています。
 
 「土淵村の光岸寺という寺が火災に遭って焼け落ちた。新築工事が始まったある日、40-50人の大工が休憩をとっていると、潜り戸を抜けて美しい娘が入ってきた。頭が『あれは病でずっと臥せっていた隣の家の娘だ。こんなところに来れるわけがない。それではとうとう死ぬのか』と言った。娘は翌日死んだ。その場に居合わせた大工の一人の話である」

 折口信夫は日本人の魂観についてしたためた小文「霊魂」のなかで、「霊魂は『たま』であり、霊体であって、多くの場合露出せず、ものに内在している。…人魂と言う語は万葉集にもあるが、後世に言ふものと同じかどうかは疑わしい。唯人の魂があくがれ出て、一目に見られる信仰ならば、中世以後屢現れている。…魂よばひ・魂かえしと言われる呪法は、生者の魂が一時的に遠くへ行ったと思われるものが多い」などと書いています(折口信夫全集19、中央公論社、pp.139-143)。

 『遠野物語』に刺激されて、「日本民話の会」が全国から集めた現代版民話(松谷みよ子『あの世からのことづてー私の遠野物語』筑摩書房)に目を通すと、「往来する魂」の話がいまでも、どこでも存在することがわかります。柳田國男は、「日本人の信仰のいちばん主な點は、生まれ変わりを認めていたことではないか」(「故郷七十年」定本柳田國男集別巻3、筑摩書房、pp.225-226)と書いています。彼自身は、生まれ変わりを信じていたのでしょうか。

 さて、さて、皆さんの霊魂観をお聞かせ願うことにいたしましょう。