8、談論:ああ、酒、酒、酒、そして、酒

 前回は、酒についてのうんちくやよもやま噺、体験談でおおいに話が盛り上がりました。

 まずはお一人が、日本人と酒の情緒あふれる関係を描き出した高須敏明の『酒と健康』(岩波新書)を引用しながら、「社会の激しい変化において、歌人・若山牧水の『酒は静かに飲むべかりけり』は、遠い方へ行ってしまったように思われます」と、日本的な風土の消失に危機感を表明しました。
 
 そして、以下のような多彩な声の乱舞。

「ぼくはね、酒を飲むとからむし、悪酔いばかり。イスラムの人たちはほんとうに酒を飲まないのですかね」

「私は基本的に、日本酒はだめですね。何か、暗い感じがしませんか。ワインがいい。ほら、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の、宴会のようなシーンがありますでしょ。あんな感じがいい」

「私は二日酔いのもとのアセトアルデヒド分解酵素がたくさんあるタイプらしく、いくら飲んでもほとんど酔わないのです。だから、酔いを楽しむというのはおまけのようなもので、味を楽しむ、それもずっと長く楽しめるのです。お酒を勧めるほうからすると飲ませがいのないタイプかもしれませんが」

「唐代の干武陵につぎのような漢詩「勧酒」があります。『勸君金屈卮 滿酌不須辭 花發多風雨 人生足別離』(君に勧む金屈卮 満酌辞するを須(もち)いず 花発(ひら)けば風雨多し 人生 別離足る)これの井伏鱒二による訳文が有名ですね。

『コノサカズキヲ 受ケテオクレ ドウゾナミナミト ツガシテオクレ ハナニアラシノ タトエモアルサ サヨナラダケガ 人生ダ』。この『さよならだけが人生だ』

に対して、寺山修二が返歌のような形で次のような詩を読んでいるのを、紹介しておきます。

『さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに咲いている野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが人生ならば 人生なんか いりません。さよならだけが人生ならば』」

「ぼくはね、酒でどれだけ失敗しているか。それはともかく、日本画の仲間で発酵学の先生がこんなことを言っていたことを思い出すのです。酒を飲んだ時は、気持ちが高揚しているのだから、本来の自己が出ている。だから、酒を飲んだ時の約束は守れ、と常々、言っていました。酒は常温がいい。冷酒は、香りを消してしまうから」

「日本酒は30年前の記憶が出てくる。夢にそれが現れる。大吟醸、吟醸、純米酒と実験しているが、日本酒なら変わらない。ビールとか焼酎は、海馬の辺りでとどまるんですよ。こちらは短期記憶」

「古代においては、音楽と酒とは特殊なものなのだったと思う。とくにギリシアでは、酒は狂乱をもたらすものだと考えられていたのではないか。エウリピデスの悲劇に、酒に酔って女性たちが狂乱状態になる『バッカイ(バッコスの信女)』があります。酒はいいものだという反面、酒神ディオニュソス(ローマ名バッコス)が出てくると、どうなのか。私個人からすれば、敗北と後悔の歴史です」

「古代ギリシアの哲学者アナカルシスの言葉『ぶどうの樹には三種類のぶどうが、つまり第一は快楽の、第二は酩酊の、そして第三は不快のぶどうがなる』もいい。酒の五杯目は初めて無の境地になる、と付け加えたい。阿久悠作詞の『時代おくれ』というのがある。

『一日二杯の酒を飲み、さかなは特にこだわらず…』、

しかし、彼は酒のことわかっていないのじゃないか。上手なお酒を飲みながら、とは何か、一年一度酔っぱらう、そんなことあるのか、人の心を見つめるとは何か。こんなやつがそばにいたら酒がまずくなる。富崎さんの紹介した井伏鱒二の語った酔いの話に、洋酒はすぐ深く、日本酒は、始めは川のせせらぎのように、そのうち大きな川の流れのように、そのあと谷底に堕ち、そして山の頂上にあがる、とある。これって、さすがですね」

「私は実は『日本酒で乾杯推進会議』のメンバーでして、会員三か条に、日本文化を愛すること、日本酒を愛すること、率先して日本酒で乾杯すること、となっています。毎年、何百種類の新酒利き酒ができる場があって、それに必ず出て、全部飲みます。スポイトで少しずつでが。とにかく、おいしいお酒を探すのが好きなんで、それが私の酒の飲み方です。李白の『月下独酌』、これを額にして飾っています。これを見ながら飲む」

「体質的に、酒をあまり受け付けない体質ですが、仕事での必要上、若い時にはそれなりにお付き合いで飲まなけれならない機会が多くありました」

「私も酒は飲めない口なので、資料にあたっていたら、つまらない、の意味をもつ『くだらない』が、酒にまつわることから来ていることを知りました。関西から江戸へと酒を運ぶ場合に、悪い酒は江戸に持ち込まないということで、『くだらない酒』と呼んでいたそうです。そこから、くだらない、が現在の意味になったとか」

「配布してくれた朝日新聞の天声人語に、名酒とは?の問いに、発酵学の大家、坂口謹一郎が『喉にさわりなく、水の如く飲める酒』と答えたとありますが、新潟のお酒だと言う『上善如水』(じょうぜんみずのごとし)は、ほんとうにそんなお酒でした」

<参考>
 「時代おくれ」 作詞 阿久悠 作曲 森田公一 唄 河島英五
一日二杯の酒を飲み さかなは特にこだわらず マイクが来たなら微笑んで 十八番を一つ歌うだけ…
時代おくれの男になりたい

不器用だけれど しらけずに 純粋だけど 野暮じゃなく 上手なお酒を飲みながら 一年一度 酔っぱらう 昔の友にはやさしくて …
時代おくれの男になりたい

 目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず 
人の心を見つめるつづける …
時代おくれの男になりたい