8,生存の危機を治癒する魔法使い

 「津軽海峡冬景色」は、台風15号によって1954年(昭和29年)9月26日、青函連絡船洞爺丸が沈没し、死者・行方不明者が1,155人に及ぶ、日本海難史上最悪となった事故の記憶まで、私たちに蘇らせました。

 メロディーが詩に優先することを、ニーチェはかなり驚きを持って、一つの発見として書いていることを前回は紹介しました(「同じメロディーで違った歌を歌う現象をかねがね私も不思議なことだと思っていたが、メロディーこそ最初の、そして普遍的なものなのだ。メロディーが詩を生み出す」(『悲劇の誕生』「六 詩と音楽との関係」p.78)。「言葉なんかは、たとえとんぼがえりをしたところで、音楽の内部を外にひっくりかえしてわれわれにわからせることはできない」(同p.83)ともニーチェは書いています。

 これに対して、詩の内容によって多彩に歌い分ける美空ひばりを例に、皆さんから「詩の力」の大きさをこそ、注目すべきだ、との声が出されました。詩と音楽との関係について、ニーチェが巡らせている考察について、もう少し先に進んでみましょう。

 「ギリシア悲劇の起源という問題は、まことに迷路と呼ばざるをえないほど複雑怪奇を極めている」(同「七 悲劇合唱団の起源」p.84)と冒頭で語り出したニーチェは「古代の伝承がはっきりわれわれに伝えていることは、悲劇が悲劇の合唱団から発生したものであり、合唱団以外のなにものでもなかったということだ」(同)と、結論づけています。とくに、酒神ディオニユソスの遊び仲間でヤギの角、尾、足を持つ半人半獣サチュロスの口を通じて悲劇のディオニユソス的知恵が語られる「サチュロス合唱団」にギリシア悲劇の本質を見るのです。

 「すべて真の悲劇は究極的にはわれわれに形而上学的慰めをもたらすものなのだー、この慰めが具体的明瞭さで現象したものがサチュロス合唱団にほかならない」(同p.91)と語るニーチェは、動乱に明け暮れ、自然災害の残虐性にたびたび見舞われていたギリシア人が、「この合唱団によって慰めを得たのである」(同)と断言します。

 そして「ディオニユソス的状態の狂喜は、一種の昏睡的要素をふくんでおり、個人的に体験されたすべてのものは、忘れ去られてしまう。しかし、日常の現実界が意識にもどってくると、それはあいもかわらぬ世界として嘔吐をもよおすように感じられるのだ」(同p.92)と語るニーチェは、ディオニユソス的人間はハムレットに似ていると言います。その心は、両者はともに事物の本質を本当に見抜いており、「身の毛もよだつ真実への洞察が、生きることを否定し、生存の恐怖と不条理に、嘔吐をもよおす」というのです(同pp.92-93)

 この状態を救い、生存の恐怖あるいは不条理についての嘔吐の思いを、生存への力に変えることができるものこそ芸術であり、芸術は「私たちを治癒する魔法使い」(同p.93)だと断じます。

 曲の物語性(つまり詩)によって、明るくも、暗くも、自在に歌い分ける美空ひばりこそ、ニーチェの言う「生存の危機を治癒する魔法使い」だったのかもしれませんね。