8、小林秀雄「ファゴット・コンチェルトK.191」
小林秀雄といえば、戦後の焼け跡を犬のようにうろついていた大阪・道頓堀で、耳にした交響曲40番ト短調k.550に目をさまされ、書きあげた名作『モオツァルト』をまずは思い浮かべますね。今回、紹介するのは、小林とモーツァルトの最初の出会いと言ってよい、ファゴット・コンチェルトK.191にまつわる話です。
「私が、小学生の頃愛玩していた蓄音機は、親父が日露戦争時代、アメリカから買って来て、家に仕舞い込んであった代物で、エヂソンの発明した蓄音機はどんなものか知らないが、まあそれとさしたる違いはあるまいと思われる機械であった」(小林秀雄「蓄音機」『小林秀雄全作品22』、新潮社、p.281)。
「ネヂを巻くと、丸い筒が廻転し、それにつれて…アルミニュームのラッパが、横ざまに滑って行って演奏するという仕掛け」の蠟管で、「私は、蠟管を六つ持っていた」(同)「どれも西洋の楽隊だったその中の一つが、他の楽隊とはひどく違ったもので、低いラッパが絶えず鳴っている物悲しい様な一曲で、私は特にそれを好んでいたのである」(同p282)
この曲がモーツァルトのファゴット・コンチェルトK.191であることを、いつのことか後年、小林はレコードを聞いていて知ることになり「ああ、これは、あれだったに違いないと思い、ひどく感動した」と告白するのです。「ファゴットの旋律は、懐手をして黙りこくった縁日の青年が、耳にはさんだ聴診器から聞こえて来る様だった」と回想する小林は、レコードからその旋律を再認したのではなく、「忘却の底に沈んでいたタイプライターの様な機械の歯車の組み合わせやアルミニュームのラッパや、当時の自分には実に基調に思われた蠟管の艶や重みを、思いも掛けず再認したといったほうがいい」と、追想しています。
モーツァルトの音楽によって、この時代物の蠟管の響きと再び出会ったことの感動が、小林には強烈だったのでしょう。
まずは、皆さんに蠟管とはどのようなもので、いかなる音を奏でる代物なのかを見聞きしてもらうことにしましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=h_MfRQeft5M
この映像は、つい笑っちゃいますね。この懐かしい蓄音機で実際に音楽を聴いた方はどのくらいいらっしゃいますか。ちょっと聴いてもらいましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=jErvLkK6BM8
小林秀雄の家もやがてレコード盤の蓄音機となり、竹針VSダイヤモンド針の議論がやかましい時代となります。この時代の音がどのようなものだったのか、懐かしむ人たちが結構いて、そこかしこで古いレコード盤のコンサートが行われたりしているようです。京都・法住寺のコンサートを覗いてみましょうか。なんと懐かしい。日本の歌は心に染みますね。
https://www.youtube.com/watch?v=ecVW6FlnhV0
さて、ではモーツァルトに戻って、蓄音機でまずは40番を聴きましょう。第一楽章です。さて、これは誰の指揮でどの楽団でしょうか。次いで、小林が小学生の頃に聴いていたファゴット(バスーン)・コンチェルト変ロ長調K.191(1774.6.4 ザルツブルク)をおかけします。イタリア北部ヴィチェンツァでのライブ・コンサート(指揮G.B.Rigon 、ファゴットAligi Voltan、演奏Orchestra del Teatro Olimpico di Vicenza)です。
https://www.youtube.com/watch?v=PYOPQuhdoQM
モーツァルトは18歳、新大司教コロレドの無理解に悶々としながら創造力に溢れ、その2ヶ月前に飛躍の交響曲29番イ長調k.201、前年の10月5日には小ト短調で知られる交響曲25番25番k.183が誕生しています。